[ショッピングモールの掟]
動線が1本でも回遊性はある

アメリカのショッピングモールに見られる人の動線は核店舗同士を結ぶ1本のみという例がほとんど。でも、1本だから回遊性が無いというのは発想が短絡すぎます。

Contents
>一筆書きは回遊性向上のひとつの手段ですが
>幅の広い通路は広場としての役割を持つ
>歩行距離600メートルの掟に注意
>核店舗が弱くなっている

一筆書きは回遊性向上のひとつの手段ですが

まちのスポットを結ぶ
まちのスポットを結ぶ

 町と人の流れについて論じている時、しきりに出てくるキーワードのひとつに「回遊性」が挙げられます。この言葉は「マグロの生態」だけでなく「人間」にも使われる言葉だったのです。特によく使われるのは、観光地や商業地でお客さんを誘導する算段を立てている時でしょう。「もっと回遊性を高めて人の流れを活発にしよう」と、いうふうに使われます。

 がんばって一筆書きをつくってみても、その沿道が閑散としていたり、歩くのがイヤになるほど長い距離だったら人の流れが衰えてしまいます。
 回遊性は人の流れです。道が無くても流れが出来ればそれで回遊性は生まれます。

幅の広い通路は広場としての役割を持つ

 古来より日本で人の集まる所と言えば道路沿い、一方ヨーロッパ(アメリカもヨーロッパの伝統を受け継いでいると思う)では広場と言えるでしょう。

 ショッピングモールを見ても、お国柄が感じられます。日本のショッピングモールは、狭い幅の通路が縦横に張り巡らされている一方で、アメリカでは前述の通り、幅の広い通路が1本です。1本に集約したおかげで、通路は広場としての機能を併せ持っているというわけです。

日本型ショッピングモールの動線
日本型ショッピングモールの動線

アメリカ型ショッピングモールの動線
アメリカ型ショッピングモールの動線

 いずれも回遊性は実現されています。
 日本型では通路をたどればぐるっと一筆書きできます。
 一方アメリカ型でも広場状の通路は一度に両側の店舗を見ることが出来ず、広場をぐるりと回るように1周するという動線が形成されるでしょう。

歩行距離600メートルの掟に注意

 誰が言ったか知りませんが、商業施設計画の教科書には「買い物客が歩いてくれる距離は600メートルまで」と、謳われています。いくら楽しいショッピングモールでも歩くばかりでは疲れてしまうというわけです。

 このことに着目すると、日本型の欠点が見えてきます。アメリカ型は広場状の通路なので、多くの店舗を一度に見渡すことでき、歩かずに済ませやすい構造です。
 ところが、日本型の細い通路では、行ってみないとどんなお店なのかわかりません。歩くこと、発見することの楽しさは、裏を返せば歩くことを強制し、探しにくくしていることだってあるのです。

すべての店舗を巡るには長すぎる
すべての店舗を巡るには長すぎる

 人の流れは広場でも生まれます。「広場だから回遊性が無い」とは言い切れません。でも、日本のショッピングモールの計画、まちの計画には賑わいのある「道」をより長くつくることに力が注がれているようです。
 ここには、間口に対する信仰に近いこだわりが見え隠れしているように思えます。次は間口について考えてみます。

核店舗が弱くなっている

 近年、百貨店やスーパーが経営不振に陥ることとなり、核店舗から撤退することもあります。こちらのショッピングモールも百貨店とスーパーが両方とも撤退し、核店舗なしを前提としてリニューアルされました。その基本形態は「ループ型」。これからの主流かもしれません。

(初出00.04.17)(再編集03.07.14)(再編集09.05.18)編集前

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