[組織の流れ]
いいことが暴走する

「いいことはいいのだ」と思考停止すれば、いいことは暴走をはじめるのです。

Contents
>いいことは限りある資源の中で行うものです
>いいことを実現する陰に赤字補填の電鉄経営
>電鉄王国が「いいことの論理」で破壊される
>「もういいだろう」が通用しない、いいことの暴走

いいことは限りある資源の中で行うものです

 ことあるごとに行政批判を耳にしますが、施策のひとつひとつは「いいこと」なのです。公共の福祉という「いいこと」を前にして、反論するのは難しいのです。

 物事には良い面と悪い面がありますが、施策のひとつひとつを取り上げても良い面しか見えて来ないでしょう。悪い面は施策全体を通して見たときに初めてわかる事なのです。施策同士の連携が悪くて救済されない人がいたり、非効率であったりということです。全体を見通す鋭い眼力が必要ですから、事前に問題点を指摘するのは困難でしょう。手遅れになってから問題に気づくということは良くあることです。いいことは限りある資源のなかで行うべきですが、いいことを取捨選択するというのは大変勇気のいることなのです。

いいことを実現する陰に赤字補填の電鉄経営

 不動産部門の収益を鉄道部門に補填するというビジネスモデルが明治時代からありました。電鉄経営というこの手法は、関東では田園調布住宅地や田園都市線という路線を持つ東急が有名ですが、大阪を拠点とする阪急が元祖といわれています。これらの鉄道に限らず、鉄道は副業で収支の埋め合わせをするということは良く聞くことで、もともと鉄道というのは単独で収益をあげるのは困難なものなのでしょう。

 電鉄経営では人口のまばらな地域に鉄道を建設し、住宅地を整備することで人口を定着させます。この不動産収入や通勤旅客収入以外にも、グループ企業にお金を落としてもらいます。阪急なら阪急百貨店、宝塚ファミリーランド、宝塚歌劇、西宮球場(かつて阪急ブレーブスの本拠地)等です。

電鉄王国が「いいことの論理」で破壊される

 関西圏の人口が頭打ちになり乗客が減少、不動産部門の収益も期待できず経営は苦しくなりました。

 それに加え、新快速という強敵が力をつけてきたのです。新快速は国鉄が存続していた時代からありましたが、運賃が高いことや京都駅が市の中心より離れていることもあり、阪急を始めとする民鉄を脅かす存在ではありませんでした。国鉄が民営化すると、新快速は新会社の目玉として強化され、じわりじわりと阪急が育ててきた市場を吸い上げて行きました。運賃を安くし、電車のスピードをアップし、電車同士の乗り継ぎを良くするという、「いいこと」を実践することによってです。「いいこと」をすれば収益が上がるなんていうのはなんともいい気分です。従業員は忙しい思いをするでしょうが、お客様のための「いいこと」という理念に対して、なかなか批判できるものではありません。

 私は関東に移り住むようになりましたが、帰省するたびに活力を失う阪急特急をみて寂しくなったものです。かつて阪急特急は憧れの列車でした。特急料金が不要なのにロマンスシートで30分間も停車しないという静かな空間に過ごせたのです。ところが新快速が力をつけることによって、まず運行本数が少なくなりました。もともと1時間に4本運行されていたものが、3本に間引かれたのです。最近では運転本数を1時間に6本にまで増やしたのですが停車駅急行並みに多く、とても「特急」とは呼べない列車です。これに対して新快速は1時間に8本も運行するようになり、阪急に対して圧勝といっていいでしょう。

「もういいだろう」が通用しない、いいことの暴走

 大阪を中心として京都と神戸方面は新快速の圧勝ということで、続いてねらうのが宝塚方面でした。かつては福知山線三田方面からの利用客は阪急宝塚駅でわざわざ乗り換えて大阪方面に向かいました。福知山線は運賃が高く、電化がおくれていたからです。これは比較の問題で、もともと阪急宝塚線は曲線が多いためスピードはあまり出ません。それでも利用客が流れてきたのですから、福知山線はよほど魅力がなかった訳です。

 こんな低レベルな競争ですから、普通に電車を走らせるだけで福知山線は充分魅力的になったのです。現在、宝塚在住の人は「便利になった。滋賀県に行くのも苦にならない」とのことです。まして停車駅を減らした「快速」なら、少々スピードが遅くとも阪急宝塚線の特急には、かなわないでしょう。

 スピードアップという「いいこと」と引き替えに、ダイヤを無理したために遅れが頻発しているようです。もはや怖いものなしの「新快速」と「快速」ですから、ちょっとくらいスピードダウンしても、阪急特急はかなわないと思えるのですが、「いいこと」に反することは誰も言い出せないのでしょう。スピードアップという「いいこと」が、関係者の意志とは無関係に暴走を始めた瞬間です。「もういいだろう」と誰も言い出せない状況です。

 トップダウンで「いいこと」を目標とした業務が構成員に配分されてきました。無理だという事をフィードバック出来ずに現場で抱え込むこととなり、問題が潜在化します。「いいこと」によって組織が思考を停止するという皮肉な因果関係です。

 今またひとつ、新型ATS設置という「いいこと」が実践されようとしています。経営には責任を持たない大臣の指示です。改善策はいくつもあるわけで、それは現場からのフィードバックを総合的に判断して決定しなければなりません。トップダウンばかりでフィードバックがうまくいかないから問題だというのに、トップダウンで「いいこと」を指示しても、成果は限定的なものでしょう。単にスピードオーバーによる事故だけが防げるようになるだけです。

(05.05.09)

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