3.01 組織の流れ

3.01.0 フィードバック

目的を達成するために必要なルールか見極めることが、フィードバックを実現するのに必要な姿勢でしょう。

書類のファイリングシステムを例に考えてみる

 リニューアルする前のこのページは組織におけるフィードバックについて語っていました。その結論が、フィードバックがスムーズに行けばいいなあというあいまいなもので、「ヒント」を提示できていません。そこでリニューアル前の文章はきれいさっぱり消し去って、あらためてフィードバックを考えてみました。ものすごく小さな事例を想像しながら。

 例として、私的な書類ファイリングシステムを計画してみました。その計画とは、

 システムを揃えた当初は見た目にもきれいにそろって美しいのですが、バインダーや用紙がモデルチェンジし、だんだん不揃いになってくるのです。神経質な人はバインダーすべてを新しいものに取り替えて、見た目を揃えることに躍起になってしまうかもしれません。バインダーならまだ、お金がかかるだけですが、中身の用紙を取り替えるなんてことになれば、全部書き写すことになりかねません。

 さすがに用紙を取り替えるために書き写すほど極端になることは無いでしょうが、整理を始めようと過大な計画を立てたものの、三日坊主に陥るという体験は珍しくないでしょう。そこで整理術のハウツー本などでは、「あまりきちんとしないで、ほどほどにやりましょう」とか書いてあるわけです。

目的を達成するために必要な事

 ほどほどの基準とは「目的を達成するために必要か」といえるでしょう。私的なファイリングでは、きれいに並んでいる事など、あまり重要で無いと思います。用紙の形式などまったく何でも良いはずです。それなのに、そろっている方がきれいだからという理由に振り回されるというのは困ったことです。

 部屋のインテリアとして、きれいにそろったバインダーが必要というのも立派な目的です。この目的を掲げるならば、バインダーがモデルチェンジするたびに全取り替えすることも合理的です。しかしモデルルームじゃあるまいし、そんなに体裁を気にするなら扉付の書架に収める方が現実的な対応でしょう。

 目的を達成するために必要な事のみをルールに定めると次のようなものとなるでしょう。

 これくらいでいいと思うのです。これを適用しますと、バインダーのデザインはバラバラになってしまいます。メーカーのカタログを収めたバインダーの廃品利用もあります。用紙もバリエーションに富みます。A4サイズなら何でも良く、不要となった印刷物の裏の利用も良いでしょう。

 揃えないことでのメリットもあります。背表紙の文字を読まなくても(あるいは文字を入れなくても)色や柄だけで必要なバインダーを容易に見つけだすことができます。またA4サイズにさえ揃えておけば、受け取った資料をそのままファイリングできます。この様なことは時間に限りがある実務家には当たり前のことかも知れませんが、時間的な制約がないと変なところにこだわって、「揃えること」が重要なことに思えてくるのです。

当たり前のように少しずつ変化する

 用紙のサイズと穴のサイズだけを決めたら、後は自由です。せっかくの自由も、注意しないと不自由に逆戻りとなってしまいます。何気ない前例がそのまま暗黙のルールになってしまい、それから抜け出せなくなるからです。たとえば、たまたま「○○社の7ミリメートル幅の罫線入りA4サイズレポート用紙」を最初に使い始め既成事実化してしまうと、他の優れた用紙の利点を生かすことが出来なくなってしまうのです。「本当は6ミリメートル幅の罫線の方がいいのだが、今までと変えるのは不揃いだから」という理由で変えられないなら残念なことです。

 こういった心の硬直化に対抗するには、無理矢理にでも少しずつ変化させる気持ちが必要でしょう。例えば用紙を購入するたび、わざと違うものを選ぶ。仮にその用紙は使いにくくて、結果としてその選択は失敗でも、様々な種類の用紙を混在させることに成功しています。「揃える」に惑わされず、さまざまな種類を試してみることができます。

 自由であるはずの自分の事であっても、すぐに硬直化してしまうものです。組織でフィードバックをうまく生かすためには、工夫が必要となるでしょう。これを「ルールの運用指針」と名付けましょう。

 この2点を考えると、案外つまらないことに固執しているかもしれません。

 組織にフィードバックというシステムが導入されていたとしても、個々の構成員が「ルールの運用指針」に基づかなければ、それは段々と機能しなくなっていく可能性が大だと思うのです。

(初出00.01.14)(再編集03.01.04)(再編集08.03.24)編集前(log/3010.html)

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3.01.1 いいことが暴走する

「いいことはいいのだ」と思考停止すれば、いいことは暴走をはじめるのです。

いいことは限りある資源の中で行うものです

 ことあるごとに行政批判を耳にしますが、施策のひとつひとつは「いいこと」なのです。公共の福祉という「いいこと」を前にして、反論するのは難しいのです。

 物事には良い面と悪い面がありますが、施策のひとつひとつを取り上げても良い面しか見えて来ないでしょう。悪い面は施策全体を通して見たときに初めてわかる事なのです。施策同士の連携が悪くて救済されない人がいたり、非効率であったりということです。全体を見通す鋭い眼力が必要ですから、事前に問題点を指摘するのは困難でしょう。手遅れになってから問題に気づくということは良くあることです。いいことは限りある資源のなかで行うべきですが、いいことを取捨選択するというのは大変勇気のいることなのです。

いいことを実現する陰に赤字補填の電鉄経営

 不動産部門の収益を鉄道部門に補填するというビジネスモデルが明治時代からありました。電鉄経営というこの手法は、関東では田園調布住宅地や田園都市線という路線を持つ東急が有名ですが、大阪を拠点とする阪急が元祖といわれています。これらの鉄道に限らず、鉄道は副業で収支の埋め合わせをするということは良く聞くことで、もともと鉄道というのは単独で収益をあげるのは困難なものなのでしょう。

 電鉄経営では人口のまばらな地域に鉄道を建設し、住宅地を整備することで人口を定着させます。この不動産収入や通勤旅客収入以外にも、グループ企業にお金を落としてもらいます。阪急なら阪急百貨店、宝塚ファミリーランド、宝塚歌劇、西宮球場(かつて阪急ブレーブスの本拠地)等です。

電鉄王国が「いいことの論理」で破壊される

 関西圏の人口が頭打ちになり乗客が減少、不動産部門の収益も期待できず経営は苦しくなりました。

 それに加え、新快速という強敵が力をつけてきたのです。新快速は国鉄が存続していた時代からありましたが、運賃が高いことや京都駅が市の中心より離れていることもあり、阪急を始めとする民鉄を脅かす存在ではありませんでした。国鉄が民営化すると、新快速は新会社の目玉として強化され、じわりじわりと阪急が育ててきた市場を吸い上げて行きました。運賃を安くし、電車のスピードをアップし、電車同士の乗り継ぎを良くするという、「いいこと」を実践することによってです。「いいこと」をすれば収益が上がるなんていうのはなんともいい気分です。従業員は忙しい思いをするでしょうが、お客様のための「いいこと」という理念に対して、なかなか批判できるものではありません。

 私は関東に移り住むようになりましたが、帰省するたびに活力を失う阪急特急をみて寂しくなったものです。かつて阪急特急は憧れの列車でした。特急料金が不要なのにロマンスシートで30分間も停車しないという静かな空間に過ごせたのです。ところが新快速が力をつけることによって、まず運行本数が少なくなりました。もともと1時間に4本運行されていたものが、3本に間引かれたのです。最近では運転本数を1時間に6本にまで増やしたのですが停車駅急行並みに多く、とても「特急」とは呼べない列車です。これに対して新快速は1時間に8本も運行するようになり、阪急に対して圧勝といっていいでしょう。

「もういいだろう」が通用しない、いいことの暴走

 大阪を中心として京都と神戸方面は新快速の圧勝ということで、続いてねらうのが宝塚方面でした。かつては福知山線三田方面からの利用客は阪急宝塚駅でわざわざ乗り換えて大阪方面に向かいました。福知山線は運賃が高く、電化がおくれていたからです。これは比較の問題で、もともと阪急宝塚線は曲線が多いためスピードはあまり出ません。それでも利用客が流れてきたのですから、福知山線はよほど魅力がなかった訳です。

 こんな低レベルな競争ですから、普通に電車を走らせるだけで福知山線は充分魅力的になったのです。現在、宝塚在住の人は「便利になった。滋賀県に行くのも苦にならない」とのことです。まして停車駅を減らした「快速」なら、少々スピードが遅くとも阪急宝塚線の特急には、かなわないでしょう。

 スピードアップという「いいこと」と引き替えに、ダイヤを無理したために遅れが頻発しているようです。もはや怖いものなしの「新快速」と「快速」ですから、ちょっとくらいスピードダウンしても、阪急特急はかなわないと思えるのですが、「いいこと」に反することは誰も言い出せないのでしょう。スピードアップという「いいこと」が、関係者の意志とは無関係に暴走を始めた瞬間です。「もういいだろう」と誰も言い出せない状況です。

 トップダウンで「いいこと」を目標とした業務が構成員に配分されてきました。無理だという事をフィードバック出来ずに現場で抱え込むこととなり、問題が潜在化します。「いいこと」によって組織が思考を停止するという皮肉な因果関係です。

 今またひとつ、新型ATS設置という「いいこと」が実践されようとしています。経営には責任を持たない大臣の指示です。改善策はいくつもあるわけで、それは現場からのフィードバックを総合的に判断して決定しなければなりません。トップダウンばかりでフィードバックがうまくいかないから問題だというのに、トップダウンで「いいこと」を指示しても、成果は限定的なものでしょう。単にスピードオーバーによる事故だけが防げるようになるだけです。

(05.05.09)

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3.01.2 鍵当番問題

まず出社時の鍵と退社時の鍵の2本を分けることから始まります。

鍵が1本の時の問題

 社員が7人程度の事務所での鍵当番について考えてみます。事務所の鍵は少ないほど防犯上安全ですから、数に限りがあるのが普通です。社員が交代で鍵を持ち、鍵の開け締めをすることになります。交代がうまくいかなければ、出社時に鍵を開ける人がいなかったり、最後になって鍵がなかったりということになりかねません。極端な例として1本しか鍵がないときの不都合を考えてみます。

鍵を締めた翌日休暇を取る

 その1本の鍵は、目立つ場所につり下げておきましょう。朝、鍵を開けた人は鍵をつり下げ、最後の人が退室時に鍵を受け取り施錠します。その人は翌朝、鍵を開ける当番となります。まるでばば抜きの様なルールです。休暇の前日はうっかり残業もできません。

鍵1本の場合の当番
当番の図1

客先に直行する必要が生じた

 休暇の場合は他の社員に残業をつき合ってもらうなど、あらかじめ対策を講じる時間の余裕があるかも知れませんが、日常業務においては、突発的な出来事もあるのです。

 例えば帰宅間際に客先より連絡があり、翌朝会社に立ち寄らずに直行することもあるでしょう。そうなれば朝の鍵当番になるわけにはいきません。この様に鍵が1本では退社時の施錠と朝の鍵当番を兼務するという、無理があるのです。

鍵を増やす

 鍵は1本では足りないことがわかりました。そこで、全員分は渡せないけれど、「大半の」社員には鍵を渡すことにします。

鍵を持っている人が先に帰ってしまった

 例えば7人の内5人が鍵を持つこととしましょう。鍵を持たないのは、入社して日の浅い新人と臨時雇用のアルバイトの2人です。

 ある日、新人は先輩の仕事を押しつけられて残業です。鍵を持った先輩は、「お先に!」と、鍵も渡さずに帰ってしまいました。その時は係長がまだ仕事をしていましたから鍵の心配は無いと判断したのでしょう。その係長はというと、新人が鍵を持っていないことなど忘れて、さっさと帰ってしまいました。こうなると新人は鍵を締めることが出来ません。

朝みんな直行した

 朝の鍵当番についても、要注意です。2人が休暇、2人が客先に直行、1人が寝坊という最悪のケースもあるでしょう。この場合、新人とアルバイトさんは待ちぼうけということになります。

単に量を増やせばいいものではないのです

 案外ありがちな話でしょう。7人の社員の内、5本もあるのですから、なんとかやりくり出来そうなものですが、本数が多いことで「誰かがなんとかしてくれるだろう」とお互いに他人まかせとなるのです。いくら鍵を増やしても、ルールが無ければうまくいきません。

 これだと「不便だから鍵の本数を増やせ」という主張は説得力はありません。経営者は防犯上のリスクを侵して鍵の本数を増やしているのに、社員がそれを有効に活用していないのです。

鍵3本作戦

 結論として、鍵は「とりあえず」3本あればいいと考えます。もちろんきちんとルールを講じた上でなければ、鍵当番不在ということになりかねません。

鍵に役割を与える

 そのルールは「鍵に役割を与える」というものです。その役割とは次のようなものです。

  1. 1本目の鍵は、出社時に鍵を開けるために。<朝当番の鍵>
  2. 2本目の鍵は、退社時に鍵を締めるために。<夜当番の鍵>
  3. 3本目の鍵は、どちらも該当しない場合。<予備の鍵>

その実際の運用は

  1. <朝当番の鍵>は、早起きの人が常に持っておく。
  2. <夜当番の鍵>は、残っている人にリレー方式で渡す。
  3. <予備の鍵>は、管理職が持っていて、「どちらにも該当しない場合」に備える。

鍵3本の場合の当番
当番の図2

 誰か特定の人に渡すというわけではないのです。管理職は業務の管理に忙しいので、鍵の管理などをさせてはいけません。普段は皆がルールに従い鍵を持ち、問題が生じるときだけ管理職が出番というわけです。

残業して早出する場合

 実際にやってみると不自然になることがあります。<朝当番の鍵>を持つ「早起きさん」の退社が最後になることがあります。そんな時<朝当番の鍵>と<夜当番の鍵>の2本の鍵を持つことになるのです。数少ない鍵を2本持つというのは、違和感がありますがその行動は正解です。

一時的に2本持つ
当番の図3

 打ち合わせで遅くなった主任が突然帰ってくるかも知れません。その主任に<夜当番の鍵>を渡すために、一時的に2本持つ時間が生じたわけです。

 もし主任が帰ってくることがなければ、2本持って帰宅という事になります。よく考えてみて大丈夫だと判断すれば、先に帰る人に鍵を預けた方が万が一寝坊したときの備えとして安心でしょう。

翌日休暇で残業する場合

 冒頭でお話しした「休暇の前日に残業する」場合は、<朝当番の鍵><夜当番の鍵>のどちらの持てません。もし休暇の前日残業で最後になるようなことがあるのなら、管理職から<予備の鍵>を借りておく必要があるのです。結局不要であったら、誰か他の社員に渡して帰ればいいので、休暇の前日は必ず借りておく習慣をつけるのがいいでしょう。

休暇の前日に残業する
当番の図3

<予備の鍵>が2本必要な場合

 翌日休暇の係長と主任が<予備の鍵>を申請したとしたらどうでしょう。そんな時は管理職が調整ミーティングを召集します。そして結論は、

というものです。この様な調整ミーティングは業務の妨げです。頻繁に召集されるようであれば、<予備の鍵>を増やすように要求する機会となります。不都合が具体的に説明が出来るので結構説得力があります。

 一度必要な鍵の数が確定してしまえば、調整ミーティングはほとんど不要でしょう。逆に「鍵ごときで堅苦しいルールを決めるな」なんて言っているほど、毎日のように調整ミーティングを開催する羽目に陥いることでしょう。

(05.08.01)

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3.01.3 投票用紙の流れ

希望しない結果に結びつかないように投票用紙の流れは見通しておきましょう。

 大方の人にとってはありきたりな話かもしれません。

何も変わらないと言うけれど

保守王国のあきらめ

 選挙権を持って以来、一度も選挙に行った事の無いというAさんの出身地では、与党の代議士がいつも当選という土地柄の様です。選挙に行っても何も変わらないという発想につながるのでしょう。

 なお投票しないことは組織票に強い政党に有利になりますから、何も変わらないどころか、その政党の後押しするという点に注意しないといけません。

何も変わらないように見えるけど

 「投票しても何も変わらない」というAさんに対し、人生の先輩Bさんは「自分の一票で大事なことが左右されるなら、怖くて投票できない」といます。会社を経営しているBさんの重い言葉です。自分の判断が会社の先行きを左右するのですから大変です。

 たくさんの票の内のひとつと考えるとちっぽけな一票ですが、最後の一票と考えれば、重い一票です。例えば議長は議員ながら普段は票を行使せず、反対賛成の得票数が同数になったときに行使するのです。票の重みは他の議員と同じなのに、最後の投じるその一票ですべてが決まるのですから、その重圧は大変なものです。自分の投票用紙が薄っぺらに見えてきたら、議長の一票を思い出すと良いでしょう。

いい主張をする候補というけれど

その人は当選して何かをしてくれるか

 今回の衆議院選挙は全国的に何か変わりそうな予感があるようで、選挙に行こうという人が多いという調査結果があるようです。選挙がおもしろくないと行かなくなるのは困ったものですが、悪い話ではありません。さていざ投票するとなるとこれまた誰に入れればいいのか迷うところなのです。

 「この人は何かをしてくれそうだからD候補に投票した」というCさんがいました。その考え方も一理ありますが、それだけでは不安です。Cさんが「今の政治はだめだ。政権交代が必要だ。」と考えていたとしたら、D候補に実現する可能性を求めなければならないでしょう。

 もしD候補が与党の候補なら、政権交代に貢献することはないでしょうし、弱小政党で野党連合にも加わらないということであればこれも同様政権交代の力にはなりません。そう考えるとD候補の主張だけでは判断材料不足ということになるのです。

最後は数の論理

 政治の世界では悪い意味で使われる言葉ですが、根底にある数の論理は無視できません。

 選挙の場合は、当選させることが先ず重要という場面があります。当選させたくない候補の当選を阻止するために、対抗する候補に票を集中させるのも一案でしょう。他に応援したい候補がいたとしてもです。

 議会でも最終的には与党と野党の多数決です。自分の応援する候補者が一体どちらに属するのか見通しを立てておくことは、必要でしょう。

自分に必要な情報の収集

 心を鬼にして数の論理だけで反対勢力を応援するとして、「票を生かす」のは難しいところです。

 反対勢力の候補が複数いたりするとどちらかに投票すれば良いのか迷いますし、無所属というのも当選してから与党に招かれたりしますから信用なりません。数の論理で考えるというのは、マニュフェストを頼りに判断するのと負けず劣らず難しいものです。

 もちろん、自分が良いと思った候補に票をいれるということが基本ですし、落選確実でも票を投じて意思表示するということも方法として有用です。ただ、自分が与党の候補に投票しておいて、野党の政権交代を期待するというちぐはぐな投票行動に陥っていないかチェックは必要だと思うのです。

 今回は大変ありきたりな話をさせていただきました。こんな話には耳を傾けず、自分の投票行動に自信を持っている方ばかりなら、大変結構なことです。

(05.08.29)

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3.01.4 過程の検証と結果の検証

過程の検証が結果の検証とは言えないものなのです。

全体像を見失いがちな計算書の積み上げ作業

 一生懸命数字の積み上げをするのです。ひとつ抜けても結論は出ません。こんな項目も必要なのかと後から気づき、バックデータの追加です。やっとの事で積み上げ完了したものの、やはり間違いがあるもので、上司がいうのです。

「君は数字のセンスがないねぇ。」

 「落ち着いて見直せば気づくだろう」というのですが、こちらは落ち着く余裕もないのです。センスといわれて、すべてを否定された様でいい気がしなかったわけですが、経験をすれば得られると解釈して今はセンスを磨く毎日です。

両立困難な2種類の検証

 計算書のチェックの際に大きく分けて2種類の検証をしていると言えるでしょう。

過程の検証

 計算書の各ページがのようにつながっているか、それぞれのページ計算書が正しく計算されているか検証することを「過程の検証」と名付けましょう。大量の計算書を目の前に先ず思うことは「なんとか終わらせなければ」ということです。「過程の検証」では、検証を終わらせることが一番の目的になってしまうのです。

 無意識に、「この計算書は正しいのだ」と暗示にかけているのにちがいありません。おかしな点を見つけたら、それだけ検証が遅れてしまうのですから。

結果の検証

 変な話ですが、結果があっているかどうかの検証は必ずしも「過程の検証」と連動していません。むしろ「過程の検証」をして後は、結果が少々変であっても、「それで良いんだ」と言い聞かせてしまうのです。ということで「結果」だけをみての純粋な判断が必要となるのです。

 人間不思議なもので、第六感みたいなものがあります。パッと見ただけでおかしいと感じるというのです。しかしこれには技術が必要になります。

 要するに経験がものをいうのです。「この柱はいつもに比べて細いと感じた」「鉄筋の数が少ないと感じた」なんていえるのは、普段から計算書を見慣れている人だからこそでしょう。

 この様に「過程の検証」と「結果の検証」は相反するもので、両立しにくいものだと思うのです。

理想はまず「結果」を検証すること

間違い探しで効率的に

 あらかじめこの計算書は間違いがあると知っていれば「過程の検証」は効率よくなるでしょう。間違い探しクイズで「この2枚の絵の中にいくつ間違いがあるでしょう」と問われるより、「この2枚の絵の中に5箇所間違いがありますがどれでしょう」と問われる方が答えやすいものです。もっと言えば「こんな間違いがあります。どこにあるでしょう」という問題の方がはるかにやさしいはずです。結果に誤りがあるとわかれば、検証は容易でしょう。

「正しいのだ」の暗示

 しかし「結果の検証」と「過程の検証」をひとりの担当者がこなすのは至難の業でしょう。まず「この計算書は正しいのだ」という暗示があります。記載されている数字があわない場合は目にとまりますが、いっそ記載されていなければ「おそらく合っているのだろう」と自分に言い聞かせるのに違いありません。結果、表示されている数字を照合するだけで、自分の任務は終わったということになってしまいがちです。

センスを身につけるのが困難

 もうひとつセンスの問題があります。センスは経験を積むことで得られるものですが、検証の担当者が必要な経験を積めるとは限りません。たまたま、工事や設計に関して経験豊富な担当者が「過程の検証」を担当する事になればいいのですが、仕事の細分化が進んでいる現在、数字を照合する専門家が検証することになってしまうのです。照合作業だけではなかなかセンスを磨く経験を積むことはできないでしょう。

(05.12.04)

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3.01.5 接する機会をつくる

接する機会は多い方がいいと思うのです。

くつろぎのための3条件

 外出先あるいは事務所を抜け出して、仕事や勉強することがあるのです。安価でコーヒーを提供しているマックもよく通っていますが、食事時間にさしかかるようであればファミリーレストランも候補となります。

 ファミリーレストランの中でもデニーズに足を運ぶことが多いのですが、これにはいくつかの「うれしい」点があるのです。

大きなテーブルがうれしい

 どのファミリーレストランにも共通していることかもしれませんが、ひとりで利用するのにもかかわらず、4人用の大きなテーブルに案内されるとうれしくなります。店側も時間帯や混雑を勘案しながら、可能な限り応えてくれているようです。

丸ごとケチャップがうれしい

 お気に入りのメニューはBLTサンドです。パンにベーコンとレタスを挟んだ単純なものですが、付け合わせのフライドポテトと一緒に食べるとかなりの量になります。何よりケチャップがチューブごと供されるのはうれしい限りです。サンドイッチとポテトに思う存分ケチャップを利用します。

 他店のBLTサンドは、付いてくるケチャップがひとり用小袋がひとつだけで物足りないのです。追加を頼めば快く持ってきてくれますが、毎回聞くのも億劫なのです。

コーヒーおかわりがいい

 デニーズではコーヒーのおかわりが自由です。頃合いを見計らってコーヒーポットをもってスタッフが巡回しています。もちろん頼めば持ってきてもらえます。また他社がドリンクバーを採用するのに対抗して、コーヒー以外のドリンクも追加料金でおかわり可能となっています。これもおかわりごとに運んでもらえるというのがうれしいところです。ドリンクバーも楽しいものですが、客が頻繁に席を立つというのはなんだか落ち着かないところです。

呼び出しボタンを押す前に

お冷やの役割

 お冷や(水に氷が入ったもの)とおしぼりは飲食店でよく見るサービスですが、これには重要な役割があると思うのです。ファーストフードでも無いのにお冷やを出さない店は妙に違和感があるのです。

 新規開店で間もない近所のラーメン屋さんは、お冷やはセルフサービスとする方針です。試しに入店してみると、遠くの方から「いらっしゃいませ」と声がしますが、こちらが注文をするのを待っているという状況。お冷やを持って応対する時間はあると思えるのです。横柄な店主だという印象だけが残ります。常連客をつかまなければならない時期に、お冷やを省略して労力が節約することには疑問が残ります。

コーヒーおかわりの役割

 デニーズではポットを片手に巡回しているスタッフを呼び止め、コーヒーのおかわりをいただくと「ごゆっくり、お過ごしください」といってもらえるのです。食事を終えて、仕事や勉強を進めている時に、この言葉はうれしいものです。迷惑をかけているつもりはありませんが、長居することには若干の後ろめたい部分があるものです。

 ドリンクバーを採用してしまうと、このように客と接する機会が最初からありません。そういう機会が無くとも、スタッフのサービス精神でカバーするというかけ声では、スタッフの力量に左右されそうです。そもそも用もないのにスタッフが客に声をかけるということはありません。

 呼び出しボタンに依存するのも要注意です。用事があるときに呼び出すのには便利ですが、大した用事ではない場合、呼び出しボタンを押すことをためらわれることだってあります。

接することは貴重な情報源

 設計士は竣工してから数年経ったら施主に会いにいくべきだという話聞きました。会った際に不満なところも聞いて今後に向けての貴重な資料とすることが望ましいとのことです。

 営業はこまめな情報収集が大切ということも良く聞きます。「依頼することがあるから来てくれ」の前に、何度かの接触があっての「依頼」となっていることが多いでしょう。省力化で失った客先との接する機会は、失うものが多いものだと感じるわけです。

 便利な道具で、必要に応じてコミュニケーションをとりやすい環境となっています。でもそれに甘んじて声をかけてもらうのを待っていると、そのまま疎遠になってしまう危険があります。

 何となく「接する」という一見無駄な行為を無駄と行って切り捨てるのは、失うものの方が大きいと何となく思うわけです。

(08.12.29)

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3.01.6 いいことの正体

いいことは、時に「砕石を磨く」ことにもなりかねません。

砕石はとんがりだからいいのです

 鉄道の線路に敷いてある石(バラスト)が砕石の一例です。このバラストは、こまめに取り替えられているのです。稜角とよばれるとんがりが重要で、丸くなると機能が低下するというのです。

 鉄道博物館に行くと体験装置があります。2つの入れ物にそれぞれ古いバラストと新しいバラストが入っていて、差し込んである棒をぐりぐりまわすという装置です。見た目には違いがわからない両者なのですが、体験してみると棒の抵抗は思ったより大きいものでした。

とんがりだからよい
挿絵1

 このように鉄道のバラストは、稜角を削りながら、線路の衝撃のエネルギーを吸収するのです。放置しておくと、

といった問題を引き起こすので、バラストの入れ替えが欠かせません。

 稜角を維持することが大切なのですから、砕石を磨くことは、無駄なことであるばかりか、機能を低下させる余計なことなのです。

雑多な粒の径が砕石の山をつくるのです

 土木材料としての砕石は、多様なサイズの粒が混在している方が、すき間が埋まって強度が増すのです。粒が揃っていると、なかなか隙間が埋まらず、ちょっとした振動でもがらがらと崩れてしまいます。地震時の液状化現象は、粒のサイズがそろっている砂にみられる現象です。

 雑多に見えることも、緻密な計算の裏づけがあるわけです。コンクリートの場合、3種類の粒径として、砂利と砂とモルタルが配合されています。理想的な配合があり、大きな粒に対して、その次の径を1/7に小さくしていくと、効率よく空間を埋めることができるとのこと。

隙間を少なくする
挿絵2

 小さな粒は余計だと、篩(ふるい)にかけることは、無駄なことであるばかりか、機能を低下させる余計なことなのです。

余計なことをしない

 いいことに見えることが、実は、余計な事だったりするわけです。

本来は、高く積み上げるとか、崩れないようにすることが目的だとすると、掃除のつもりで、やったことがかえって、強度を損ねることになるわけです。

 いいことの正体とは、単に「他人受け」がいいだけのこともあるので要注意です。

くずれやすい磨いた石を積む
挿絵3

(10.07.12)

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3.01.7 きちんとできないこともある

何となく心配することが、不具合の発見につながるかもしれません。

画鋲で額縁のようなのです

画鋲で額縁

 部屋の壁は基本的に「後付け」向きではないのです。画鋲は刺さるのですが、釘や木ねじだと強度が確保できず、すっぽり抜けてしまうのです。そんなわけで、近々落ちると知りながら、額縁などの重量物を画鋲でとめてしまうわけです。

 そんな画鋲でとめた額縁を連想しながら、笹子トンネルのアンカーボルトを頼りなく思ったわけです。

接着剤は頑丈

 こんな思いを「流れのヒントの日記」につづったところ、「接着剤は強力」である旨のコメントを頂きました。現場で使われていたケミカルアンカーは、素人が考える接着剤ようなビヨーンと伸びるような柔らかいものでは無いとのこと。(私が事例に接着剤メーカーのCMを取り上げたことから、接着剤では不安と主張しているように読み取れたようです。)

 コメントを頂いた方のみならず、接着剤に対する擁護のコメントは新聞の投書欄やネットでも散見されました。接着剤は強力なのに、何故耐えられなかったのか?他に原因があったのでは?という疑問形も多数ありました。

 鉄のボルトよりも丈夫だというのですから「接着剤の強度」は問題ないのでしょう。しかし、結局落ちてしまったのであれば、「接着剤を使った工法」がだめだったということです。

 最近、バッテリから発火した飛行機の事故がありました。バッテリーメーカーが自分たちの製品の限界を訴えるのは当然でしょうが、それで終わっては事故の防止に役に立ちません。

接着剤以外に不安要素が

 結局ボルトはすっぽ抜けていました。いろいろ原因はあるでしょう。

 接着剤自身は良くても、その周りに不安要素があるのであれば、意味がありません。

これらと同じようなことなのでしょう。

これならちょっと安心

 それではどうすれば安心になるのかちょっと考えてみました。もちろん計算で証明されたものではありませんが。

これくらいアンカーが長いと安心

 トンネルの工法に使われるアンカーです。基本的に摩擦力で支えるので、接着剤を使うともっと短くて済むということかもしれません。でもこの長さがなんとなく安心するのです。多少抜けてきてもスポッと抜けることなく、徐々に不具合が見つかりそうな気がするのです。

トンネル用のアンカー
アンカーの画像

トンネルに引っ掛けろ

 笹子トンネルの落ちたコンクリート版は「付属物」扱いだったということです。トンネルの方は、長いアンカーを配して頑丈に作ったものの、付属物のことは知らないとばかりに何の取っ掛かりもない天井面を仕上げたりするわけです。まさに部屋の壁に「後付け」で画鋲しか使えないような状態です。

 できればアンカーをフックみたいにしたらいいのです。重さに耐えられなくなっても、アンカーが変形したり、トンネルひびが入ったりして、前兆がわかります。

フックのイメージ
フックの画像

 おそらくトンネル本体の強度に影響を与えないよう、「画鋲」みたいな小さな金属片で大きなコンクリート版を支える羽目になったわけです。画鋲だけでは強度的に不足するので接着剤で補強というところでしょう。

 問題は接着剤が耐える、耐えないの問題ではなく、制約の多さが問題なのです。トンネルの壁にあらかじめ、付属物を取り付けられる金具をつけることが出来なかったのかと思うのです。

液体はどこに行くのやら

 現場は実験室とは異なり、条件が定まりません。例えばこのような地盤改良材は、液体のセメントを地中にしみこませるものなのですが、四方八方均一にというわけに行かないようで、偏りがでるようです。

接着剤の施工についても、強度を得るのに十分な量を充填されられたのか、穴の中のことなので後からチェックしづらく、作業員一人一人の技量にかかわってきます。この辺も不安要素としてあるわけです。

地盤改良の例
地盤改良の画像

フェイルセーフ

 結局のところ、額縁のプロが語っているように、フェイルセーフの発想が盛り込まれているかどうかが大切になるのです。メインがだめでも、サブが何とか持ち応えて、致命傷を防ぐということです。フェイルセーフは、誰が見ても直感的に理解できるものだと思うわけです。そして、安全神話とか言って思考停止なるのではなく、その限界も理解できる。直感的というのは大切だと思うのですよ。

(13.01.28)