さまざまな防災メニューの組み合わせに設計思想が必要なのです。
三陸地方では「津波てんでんこ」(自分の責任で早く高台に逃げろの意味)という防災教育があるそうで、防災訓練どおりに一目散に逃げて、ほとんどの生徒が助かったとのこと。
津波になじみの無い私にとっては、もはや避けるすべがない自然の驚異だと思っていたのです。しかし、逃げると判断すれば助かったという事例があったとは意外でした。
原発は絶対安全なので、避難を想定する必要は無いというのが、そもそもボタンの掛け違いのようです。安全かなどうかなと考えている間にも「被曝は合計」なのだとか。
これも私は知りませんでした。目に見えないだけに逃げ時を逸してしまいがちでしょう。
被害の復興にむけて防災基準の見直しやら、施策メニュー創設などが行われることでしょうが、人命にかかわるといっても財源には限りがあり、どのように組み合わせるのかが重要となります。
せっかくの予算を有効に使わなければもったいない。そこで「津波てんでんこ」を軸としたまちづくりを考えるのです。(門外漢が勝手に考えています。)
あれもやり、これもやりという風にメニューを列挙するのでなく、「短いキーワードで形成された」設計思想を軸に考えると理解が得やすいでしょう。「津波てんでんこ」というたった7文字には、たくさんある施策の一覧表よりも密度の濃いメッセージがこめられているのです。
20mの防潮堤が必要でも、予算の上限で10mの防潮堤しか出来ないこともあるでしょう。そんな時、「ほとんど」の津波は大丈夫ですと変に安心感を持たせてきたのが、今までの悪い例。最悪の事態に備えた避難行動を「例外なく」実践しつづけましょうと伝え続けるのが今回の津波被害の教訓だったのだと思います。
三陸の自治体・集落は「津波てんでんこ」を軸としたまちづくりを自然とやってきたわけです。
これは、今回被害を最低限に抑えた事例です。しかし、自治体・集落によってはうまく機能しなかった対策もあったようです。
「現実」を前に、「津波てんでんこ」に忠実になれなかった結果でした。
大津波に対しては、まさかと思い、避難する判断が鈍ったというのはわかります。しかし、その後隣県に一時避難することに対して、かなりの拒否反応があることに、個人的には驚いています。
一旦逃げて、体制を整えてから現地の復興にまい進するのは合理的だと思われます。高齢者、病人は医療施設の整った地域への集団移転は有効だと思うのです。
しかし、町を「見捨てた」となってしまうのです。道路網が発達した地域に住んでいれば、バスで1〜2時間のところは通勤圏です。隣の県に住んで、通いで復興に従事することも可能だと思うのです。しかし、被害にあった地域は、交通網の遅れが近年まで目立った地域です。隣の県といえば丸1日というイメージが強いのかも知れませんし、1〜2時間ではすまないのかも知れません。
町ぐるみで逃げる判断が即座に出来なかったため、逃げる=離散という結果が目立つようです。「復興の力をためるためあえて逃げる」を地域の共通の認識としておく必要があるでしょう。
明治の言い伝え「津波てんでんこ」ですら、忘れ去られそうになる「正当論」は、痛い目にあわなければ、「何を根拠に!」と食ってかかられるのがおちです。
しかし、骨太な思想がなければ、お金をかけた施設も大切な人命も失いかねないことなのです。
当サイトでは、「ヒント」と称して、私の私見を提供しています。たわいも無いものから、人命にかかわる交通安全まで、いずれも証明しづらいものです。交通安全に関しては、国内外含め事例が有るのですが、なかなか広まらないものが多いのです。ちょっと見方をかえるだけで、効果のあることを是非知って欲しいのです。
(11.04.18)
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