9.02 コンテンツについて

9.02.0 4週間隔の更新です

4週間に一度の更新が限度です。継続は力なりという言葉を信じての更新作業です。

 2000年頃このサイトの前進である、「かえるくんまちをゆく」というページを書き始めました。最初は毎週の更新を目指した上に、今の様にサブテーマに分けずに1回の更新でメインテーマを丸ごと書き上げていたのでなかなか大変でした(右の目次で青色がメインテーマ、水色がサブテーマです)。

 案の定、更新間隔がだんだん広がり、1年くらいで更新が滞るようになりました。

 2003年の正月よりリニューアルし、今までのコンテンツを書き直してきました。もちろん無理のない更新間隔として2週間を設定。最初は、コンテンツの書き直しだけだという事もあって、2ページや3ページの更新で勢いづいていましたが、ここで週刊にしてしまわずによかったと思っています。現在は新規コンテンツばかりで、1ページ書くのに平均7時間以上かかってしまいます。これを毎週続けるのは大変な事です。

 でも2007年の正月より、2週間間隔の維持も困難になり、4週間間隔の更新を目指すようになりました。

(08.02.25追加)

 とうとう新規の定期更新は断念することとなりました。

「続けるサイト」を目指します

 せっかく書くのだから誰かに見てもらいたい。コンテンツの質については、私の実力に左右されるのでなんともできませんが、それ以外の部分でなんとかできればと思ったのが、「続けるサイト」です。

 素晴らしい内容のコンテンツでも更新が滞ればリピーター(くり返し来てくれる人)は去ってしまいます。逆に続けていればそれだけリピーターが増える。アクセス向上のサイトでは必ず取り上げられているこの理屈。サイトを続けていくうちに実感されるものです。

 私も日常生活で巡回するウェブサイトを探すことがあるのですが、なかなか定期的に更新されているサイト(私の興味に合ってという前提で)にはめぐりあいません。

 もちろん探している間にもすごい有益なサイトはたくさんあるのですが、定期的な更新をしているページがないので、せっかく保存したサイトのアドレスもどこに保存したかわからない状態になってしまいます。私のサイトでもちょっとでも興味を持っていただいたら、忘れないでいて欲しいという思いがあり、ほぼ1ヶ月という定期的な更新にはこだわるのです。

更新予定日は決意の現れです

 このサイトでは最終更新日は特に強調していません。代わりに「次の更新日」がすべてのページのトップを飾ります。このサイトは定期的に更新しているページがあるという紹介を兼ねています。

次の更新日を示す
更新日の表示

 このサイトに訪れる方の大半が、検索サイトで用語を入力して、各ページに直接アクセスするという状態です。普段なら用が済んだらさっさと別の調べ物というところでしょうが、定期的に更新しているサイトだということを知っていただき、トップページを覗いてみようという気になってもらえればうれしいことです。

 もちろん更新日を宣言することで、私は否応なく更新に駆り立てられるのです。

(14.07.07追加)

 とうとう更新予定日も記載をやめました。

(初出04.08.16)(再編集07.01.01)編集前(log/9020.html)

http://hint-eng.jp/jdy07317/

9.02.1 なるほどな文章を目指しています

なるほどな文章は手間がかかるものなのです。しかし、そのひと手間のおかげで言いたいことがはっきりとしてくるのです。

「なるほどな文章」を目標に

「なるほどな文章」のフィルターで文章を淘汰する

 ネット上で「ウムウムとうなずく文章」と「そうでない文章」があります。私の好みかそうでないかは、関係ありません。内容が難しいかそうでないかと言うことも関係ありません。どうやら、言いたいこととその説明がきちんと書かれているときに「ウムウム」となる気がします。

 そんな文章を「なるほどな文章」と名付け、文章を書くときも読むときの基準にすると、物事がすっきりと考えられるのです。

 「なるほどな文章」というフィルターを通すと「言いたいこと」と「その説明」以外の文章は淘汰されてしまいます。時には最初に考えていた「言いたいこと」すら淘汰の対象になってしまいます。腹を立てていたときに思ったことが、後で冷静になって考えてみると、とんでもない思い違いだったという様なものです。

 新しい事実を知ったり、腹を立てたり、感心したりと書きたいことはいっぱいあるのですから、もったいないことです。でも文章の「淘汰」の末に残るのは、わかりやすい文章の流れです。これがなければ始まりません。

「なるほどな文章」のフィルターの効用

 なるほどな文章を目指すと次のような矛盾が見つかります。

最初と最後で違うことを言っている
 書き進めるうちに、良いアイデアが浮かんできて、最後は違った結論で結ぶというもの。これを「起承転結」と勘違いしてはいけません。単に前半部分が不要なだけです。無くても意味は通じる文は淘汰の対象です。
いろんな事を言っている
 めずらしく頭がさえていて、たくさんの言いたいことを並べることがあります。それを単に並べるだけでは「だから何なの」と突っ込まれることになるでしょう。お気に入りの主張だけを残して、淘汰です。しかしせっかくのアイデアです。完全に削除するのはあまりにも辛いので、またの機会に活用することにしています。
体制不満に逃げている
 言いたいことをはっきりと書かず、役所が悪いという風に読ませる文章になっていることがあります。大抵の場合、うやむやのうちに役所を悪者に仕立てあげていることが多いのです。書くのは楽ですが、単なる思考停止です。

 これらの文章は、「おかしい」と、指摘できるほどおかしな文章では無いのですが、何となく「?」なのです。「なるほどな文章」のフィルターが「?」を浮かび上がらせるのです。

「記事」に見る「なるほどな文章」

 「なるほどな文章」は「記事」と言い替えることができるでしょう。記事の書き方についてうまく説明されているページがありました。

 このインターネット新聞サイトの書き手は必ずしも記事を書く専門家ではありませんから、チュートリアルとなるこのようなページが必要となるのでしょう。「イイタイコト」は一つに絞るとか、「人が理解できるよう」説明するとか、今まで私が見聞きして実践していることがうまくまとめられています。同様の考え方は、「[伝える技術]伝えたいことはひとつだけ(3031.html)」にも私なりの解釈を掲載していますので併せてご参考ください。

 このインターネット新聞サイトでは「イイタイコト」が良くわからなかったり、「人が理解できるよう」説明されていなかったりすると、意見を述べる掲示板に手厳しい指摘があったりしています。素人だからといって書き手はうかうか出来ません。たくさんの読者が記事に期待しているわけですから、意味不明な文章を放置するわけにはいかないのでしょう。

 「流れのヒント」のように、ひとりの責任で運営しているサイトであれば、不満がある読者は去ればすむことですが、複数のメンバーで運営しているのであれば、そんなことも言ってられません。厳しい意見があるのは当然でしょう。

まずはなるほどな「暴論」から

 私のサイトはひとりで運営する気楽なサイトですが、ちゃんとしたことをかけるようになってから公開すべきではないかと不安になることもあるわけです。

 そんな不安をうち消してくれるのが「暴論論」です。「暴論」とは乱暴な言葉と言うことではありません。「正論」は理想だが、そこに至らなくても発言することが大切だというのです。まずは暴論ポートフォリオをご覧になって暴論の位置づけを確認してみてください。

 私の場合、ちゃんとした事(「暴論論」の中では「正論」)をかけるようになるのがいつになるのかわかりません。でも何も言わないよりも言うことが一歩前進ということで割り切るしかありません。そのうち立派な文章を書けるようになるために、日々精進するというものです。

 でも読者の皆さんが読んでもさっぱりわからないと言うのでは迷惑な話でしょう。せめて、何度も推敲を重ねて、「言いたいこと」と「説明」が明快な「なるほどな文章」に近づける努力は必要と考えています。暴論という言葉を借りれば、私が目指しているのは「なるほどな暴論」と言うことになるでしょう。

(05.01.03)

http://hint-eng.jp/jdy07317/

9.02.2 ウェブ上の歯車

ウェブ上の歯車になれれば本望です。

意外に挿し絵が役に立っています

 当サイトは、「リンクは自由に」という主義ですので、リンクの報告をいただくことはあまりないのですが、こっそりとリンクを張っていただいていることがあるのです。

 こっそりというのも、サイトのトップページでは無く、各ページの、しかも私の「主張」とは関係なく、「挿し絵」のためだけのリンクなのです。

 挿し絵づくりは意外に手間がかかるものなのですが、説得力を増すために用意するよう心がけています。文章ばかりは言葉だけでは伝わらないことも、絵だと「なるほど」とひとめで判ることもあるわけです。そんな挿し絵を活用していただているわけです。キーワードに対してうまく言葉で説明できないとき、このサイトのページをリンクして、「こんな感じのこと」という使い方です。

 リンクと言えば、「私の考え方」について、引用されることを想定していましたので、部品である挿し絵を対象にリンクされるとは意外でした。小さなことですが、うれしい限りです。

特定のテーマなら充分に伝わる

 こんなマイナーなサイトですが、「大きなサイトも小さなサイト」も平等に機会があるということについては実感するわけです。

 グーグルで検索してみたところ、

グーグルで検索してみた
中央ゼブラゾーン1位
フォーク並び1位
右折車線1位
一方通行8位

という具合に、第1面に表示されるコンテンツがあるわけです。マイナーなテーマですから、絶対数としてはかなり少ないわけですが、特定のテーマについて調べようとする人が当コンテンツを見つける確率は高いわけです。後はこのコンテンツが役に立つかどうかという質の問題。これは私の能力によるもので、努力でカバーできない部分が有るわけですが、個人のウェブサイトでも、伝えることが出来ると言うことがわかったのは大きな収穫です。そして調べている人の期待を出来るだけ裏切らないようにとは思うのです。

ウェブ上の歯車として

 はからずとも検索エンジンの上位に位置し、調べものをしている方が当サイトに訪れる可能性が高い以上、好き勝手な「暴論(9021.html)」を並べてばかりはいられないのです。少なくとも参考となるサイトへのリンク切れの確認、時間経過による記述の修正などの維持管理を、自分で出来る限りやっておかなければならないと責任を感じるわけです。

 しかしながら、このサイトから「私論」を抜いてしまうと、百科事典になってしまいます。それならwikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/)の様な秀逸なサイトがあるわけで、このサイトの存在価値が無くなってしまいます。

 今回のコンテンツより、更新間隔を従来の2週間間隔から4週間間隔に広げました。書くことが無くなったというのが最大の理由ですが、少し余裕がでれば今まで書いたコンテンツの維持管理に手間をかけられたらいいなと考えているところです。

(07.01.01)


http://hint-eng.jp/jdy07317/

9.02.3 「言い伝え」という設計思想

さまざまな防災メニューの組み合わせに設計思想が必要なのです。

逃げろという設計思想

津波てんでんこ

 三陸地方では「津波てんでんこ」(自分の責任で早く高台に逃げろの意味)という防災教育があるそうで、防災訓練どおりに一目散に逃げて、ほとんどの生徒が助かったとのこと。

 津波になじみの無い私にとっては、もはや避けるすべがない自然の驚異だと思っていたのです。しかし、逃げると判断すれば助かったという事例があったとは意外でした。

原発からも「ムダでも最初は逃げろ!」

 原発は絶対安全なので、避難を想定する必要は無いというのが、そもそもボタンの掛け違いのようです。安全かなどうかなと考えている間にも「被曝は合計」なのだとか。

 これも私は知りませんでした。目に見えないだけに逃げ時を逸してしまいがちでしょう。

根拠なき言い伝えをいかに信じるか

「言い伝え」を設計思想にまちづくりを考えてみれば

 被害の復興にむけて防災基準の見直しやら、施策メニュー創設などが行われることでしょうが、人命にかかわるといっても財源には限りがあり、どのように組み合わせるのかが重要となります。

 せっかくの予算を有効に使わなければもったいない。そこで「津波てんでんこ」を軸としたまちづくりを考えるのです。(門外漢が勝手に考えています。)

 あれもやり、これもやりという風にメニューを列挙するのでなく、「短いキーワードで形成された」設計思想を軸に考えると理解が得やすいでしょう。「津波てんでんこ」というたった7文字には、たくさんある施策の一覧表よりも密度の濃いメッセージがこめられているのです。

 20mの防潮堤が必要でも、予算の上限で10mの防潮堤しか出来ないこともあるでしょう。そんな時、「ほとんど」の津波は大丈夫ですと変に安心感を持たせてきたのが、今までの悪い例。最悪の事態に備えた避難行動を「例外なく」実践しつづけましょうと伝え続けるのが今回の津波被害の教訓だったのだと思います。

自治体により異なる設計思想

 三陸の自治体・集落は「津波てんでんこ」を軸としたまちづくりを自然とやってきたわけです。

 これは、今回被害を最低限に抑えた事例です。しかし、自治体・集落によってはうまく機能しなかった対策もあったようです。

 「現実」を前に、「津波てんでんこ」に忠実になれなかった結果でした。

逃げることが悪いという足かせ

 大津波に対しては、まさかと思い、避難する判断が鈍ったというのはわかります。しかし、その後隣県に一時避難することに対して、かなりの拒否反応があることに、個人的には驚いています。

 一旦逃げて、体制を整えてから現地の復興にまい進するのは合理的だと思われます。高齢者、病人は医療施設の整った地域への集団移転は有効だと思うのです。

 しかし、町を「見捨てた」となってしまうのです。道路網が発達した地域に住んでいれば、バスで1〜2時間のところは通勤圏です。隣の県に住んで、通いで復興に従事することも可能だと思うのです。しかし、被害にあった地域は、交通網の遅れが近年まで目立った地域です。隣の県といえば丸1日というイメージが強いのかも知れませんし、1〜2時間ではすまないのかも知れません。

 町ぐるみで逃げる判断が即座に出来なかったため、逃げる=離散という結果が目立つようです。「復興の力をためるためあえて逃げる」を地域の共通の認識としておく必要があるでしょう。

「ヒント」は証明しづらい設計思想

 明治の言い伝え「津波てんでんこ」ですら、忘れ去られそうになる「正当論」は、痛い目にあわなければ、「何を根拠に!」と食ってかかられるのがおちです。

 しかし、骨太な思想がなければ、お金をかけた施設も大切な人命も失いかねないことなのです。

 当サイトでは、「ヒント」と称して、私の私見を提供しています。たわいも無いものから、人命にかかわる交通安全まで、いずれも証明しづらいものです。交通安全に関しては、国内外含め事例が有るのですが、なかなか広まらないものが多いのです。ちょっと見方をかえるだけで、効果のあることを是非知って欲しいのです。

(11.04.18)