平坦すぎると水の流れが止まってしまうのです。
かつて江戸の町の水を供給していたのは玉川上水でした。これは谷部に流れていた多摩川の流れを武蔵野台地の尾根部に流すというもので、江戸付近においても標高の高い位置に水が流していたのです。
多摩川上流の羽村堰(標高126m)から江戸の四谷大木戸(標高34m)までの距離は約43kmですから、計算すると平均勾配は0.2%(92m÷43000m)のゆったりした流れです。
計算上のみならず、勾配はおおむね一定であり、決して水が上っていくという珍現象はなかったはずです。よって途中の山あり谷ありの地形を、常に0.2パーセント程度の勾配を維持するために、深く掘ってみたり、水道橋で空中に流したりの苦労があったわけです。
水が下に流れるのは極めて当たり前の光景ですが、目的地の標高を決めてしまうと、自然に流すのにも苦労が伴うのです。
昨今ではポンプを活用することで、地形的な困難を克服していますが、ポンプアップは最後の手段です。24時間365日、常に稼働させる管理体制を維持することは大変です。浄水場から配水池に送り込むときや、最終処理場から川に戻す時などに限定すべきでしょう。
土地の造成を計画する場合も自然流下が第一条件となります。雨が降り、各宅地から道路の排水施設に水を流し、道路は少しずつ勾配を持ち、最終的には川に戻すというわけです。
排水は道路に沿って
土地が比較的平坦な場合、造成工事は不要に見えますが、排水を流すルートを確保するために、造成工事が必要になってくるのです。すべての地点から、最下流に向かって、一貫して下る必要があるのです。途中、上り勾配があれば、そこで水が溜まってしまうからです。
普段歩いていて道路に上り下りがあると感じるのは排水の流れを横断する方向ということであり、常に川に向かう方向があるはずです。
造成の計画をするとき、最下流の高さが決まっているわけですから、そこから順に少しずつ道路に勾配をつけて最上流までの道路高さを決定します。
道路の高さが決まれば、その高さにあわせて土地の高さを計画することになります。土地の高さが道路の高さより高ければ、問題ありませんが低い場合、土地ごとかさ上げしなければなりません。
従来はもっと低い位置で水路がちゃんと流れていたのに、水路が廃止されたという場合などは、新しくできた道路に排水しなければならなくなります。そんなときもかさ上げが必要となります。
従来は左に水を流していた
新しい流末は右側になった
写真はそんなかさ上げの事例です。駅前広場に隣接する時間貸しのパーキングです。入り口付近では広場の地盤面と同一面なのですが、奥に行くに従って高くなっています。
入り口付近はつらいち
奥はかさあげ
このパーキングでは排水できるのが入り口付近に限られているのでしょう。奥の方の排水も入口に集めなければならないので無理に奥を高くする必要が生じたのです。
奥の裏側に空き地があり、ここに排水できれば一番なのですが、おそらくここは鉄道会社の用地なのでしょう。道路の側溝や雨水管に排水すべきところを、鉄道会社の土地に勝手に排水してはいけないのです。
(05.10.10)
地中に埋まっているだけに、問題が先送りされやすいものなのです。
前回の「土地には傾斜がつきものです(4010.html)」は、地表の水の流れの話でした。土地のかさ上げ等で地表に勾配をつけて水を流すという工夫を紹介しました。
「管渠」を使って坂道を逆に進むことも工夫のひとつです。管渠は水を通すパイプの事ですが、地中に埋めるので地表の勾配は関係ありません。
道路の端にある側溝(狭い水路)だと雨水を流したい方向に道路が傾いていなければなりませんが、管渠でなら少々の坂道なら道路の勾配の逆方向に進めることが出来るのです。
道路の勾配と逆
地形を無視するのにも限界があります。道路よりどんどん深くなっていくわけですから、工事が出来ないくらい深くなってしまっては困ります。5メートルくらいの深さが安全で経済的に工事ができる限界でしょう。
管渠の勾配を道路勾配と同じすれば良いというわけでもありません。管渠の勾配は「管径」と「流速」の相関関係と複雑に絡み合っており、深くしたくないからといって、勾配を緩やかにすることは出来ません。緩やかにすると水の流れが遅くなり土砂が溜まってしまい、つまりの原因になるのです。
勾配・関係・流速
こういった理屈は難しいものでもなく、当然専門家もわかっているものなのですが、案外見過ごされがちなものなのです。
大きな敷地で集合住宅やビルを建てるとき、下水道に接続できないことがしばしば起こるのです。
下水道は、市役所などが建設管理しており、道路の下に埋設されています。一方大規模な敷地では、敷地内に通路を設けて、そこに排水管を埋設し、最後に公共の下水道に接続します。この通路は見た目は道路なのですが、あくまで私道ですから市役所は関知しません。
一方建築する設計者は、その通路に排水すれば終わりと思っていたりすると、通路内の排水管渠の勾配に気を配る人がいなくなってしまうわけです。
盲点な部分
両者の間の隔たりがある領域、「外構」という部分なのですが、「外構設計」というのは様々な設計の最後にまわされることが多いのです。実際の工事では、建物が出来上がった後に外構の工事をすることになるためでしょう。
「外構設計」時には、既に通路の位置が決まり、下水道のある道路までの排水管のルートも決まっています。後は外構の設計者が高さを決めてやるだけです。ところが高さが取り付かないのです。理想は1箇所に集約する事なのですが、迂回することにより公共下水道管より深くなってしまう場合があるのです。
迂回を余儀なくされる
下水道は既にあるものですし、建築の設計も大枠は完了しており、今更大幅な変更は出来ません。小手先の修正で対応するしかないのです。
通路の位置を変更したり、下水道管理者にショートカットのルートで接続することをお願いしたり、下手するとポンプを設置して未来永劫自分たちで管理したりと大変です。
(05.11.21)
大きな敷地を分割するときには、要注意なのです。
建物の敷地というのは、接する道路より高いというのが基本です。四方道路に囲まれている敷地があれば、すべての箇所で高いという意味です。
水はけという観点からすれば、1箇所でも道路より高い部分があれば、そこから排水すれば良い様なものですが、新たに造成計画をする場合には、忠実にするのが原則です。
いくつかの理由があるでしょう。
例えば敷地の一部を他の人に譲る場合に問題が生じます。周囲すべてが道路より低い部分を譲られたら、隣の土地を借りないと雨水を排水出来なくなるいうわけです。
また擁壁や法面というのは、支えられる側がきちんと管理しないと危険です。道路が上にあるということは、個人の敷地内に擁壁や法面を造ることになるわけです。そんなややこしいことになるくらいなら、最初から道路より低い土地は造らないということになるわけです。
擁壁で支える道路
学校やグランド、集合住宅などの大きな敷地は、多少でこぼこはあっても、真っ平らにするものです。建物は平らな土地の上に立てますし、グランドが斜めでも困ります。
一方、道路には必ず勾配があります。全体的な地勢が勾配をもっている場合にはそれにあわせて急勾配となりますし、雨水を排水するために最低限の勾配は必要となります。
例えば2%の大してきつくない勾配の道路に沿って幅100mの大きな敷地があった場合を想定します。道路の高い方は高低差が無いとしても、低い方は100m×2%=2mの高低差が付くことになります。植栽などでうまく高低差を隠すことが多いので目立たないかも知れませんが、結構大きな高低差となります。
高低差が生じる大きな敷地
大きな敷地を細かく分割して戸建て住宅に再造成するということがあります。その地域に住宅地の需要があるならば考えて当然のことです。購買価格を考えて適当な規模に分割するのは、なかなか難しいものですが、企画段階ではお金がかかる問題はまだ見えてきません。
しかし、いざ事業を考えるとなると、意外にお金がかかることが判明するのです。先ほどの例でを分割するとしましょう。
大きな敷地の時には左の端で道路の高さに接続すれば良かった訳です。右側にも出入り口が必要ということで階段を設置したかもしせんが、共同で使うものですから全体の費用からすると微々たるものです。
ところが戸建て住宅に分けるとなると、1戸づつが道路に接続しないといけないのです。2mの高低差があれば、1戸づつに階段が必要になりますので費用がかさみます。全体を均して平均1mの高低差としても、小規模な擁壁を各戸に設置することには変わりありません。
敷地の分割で土が余る
各戸の高低差を解消するためには、ダンプトラックで土を持ち出す必要があり、これもお金がかかります。近所に土を必要する工事現場があれば良いのですが、無ければ何十キロも離れた土捨場まで運ばなければなりません。
(06.12.18)
ポンプがない時代。飲み水を運ぶための川の掘削は丘を越える大変な苦労だったようなのです。
関西育ちの私にとって玉川上水はなじみがなく、一体どういう役割なのかわからなかったのでした。住んでいたところでは地下水が主な水源でしたが、代わりの水源といえば川しか思い浮かびません。上流の汚水処理場で処理された水を下流の浄水場で水源として取水するなんて当たり前の光景で、なんだか変な感じがしたものです。もちろん消毒をしっかり施し、安全性は確保されていましたが。
多摩川の上流よりわざわざ飲料水専用の川をひいてくるなんて江戸は贅沢だなと印象があるわけです。当時としては、近くの川でもきれいなのは当たり前で、遠くからひいてくるのは、単に量を確保するためだったわけですが。
海を埋め立てた江戸では、井戸を掘っても塩水しか出てこないので、上水道を整備が急務であったようです。しかし近くには適当な川が無く、遠くの水源から川の水を引いてくる必要があったのです。
多摩川の水を引いてくるなら、世田谷区あたりの近いところからと思うのですが、当時はポンプでくみ上げるわけにいかず、標高の高い地点からひかなければならなかったのです。
多摩川の上流、羽村を標高130mでスタートした玉川上水は出来るだけゆっくりとした勾配を保ち、江戸に来てもまだ30mの標高を保っています。余裕をもって江戸の随所に水を配ることができたわけです。
玉川上水は国の史跡だから良く整備されているというのもあるでしょうが、上水というのは散歩道として快適な要素を持っているのだと思うのです。
上ったり下りたりする事がありませんし、交差点で直角に曲がるということもありません。ただ、このことは川についてもいえることですね。
川には無い特徴としては、水質を守るという発想があるということでしょう。
飲料水ですから、川に比べるとずっと水が大切にされています。フェンスで立入禁止にし、見回るための管理道路があります。歩く人のためではないのですが、手入れが行き届いたという印象を受けるのです。
上水の緑は、水が暖まらないようにとの配慮です。歩く人はその恩恵を受けられます。川ではそんな配慮は不要ですから、木陰のない堤防をとぼとぼ歩くことも多いでしょう。
地図の上で全体を見渡すと上水は川とは逆の形態を持ちます。
上水は分流しますが、合流せずに一本のままです。川とはかたくなに分離されていて、上水と川の立体交差なんて見られるのも楽しいものです。
川だと合流の度に川幅が太くなっていきます。あまり太い川では散歩道としての落ち着きが半減する気がするのです。
また合流の度に迂回を強いられるのが川の特徴でしょう。橋を渡るのがいやだといっても、川同士が合流の度にどちらかに寄らないといけません。
川の合流は迂回を強いる
そんなわけで歩いてみました。
多摩川から取水してから約12km区間は、本当に水道水になる水を運んでいます。
取水場(羽村)
福生市辺りでは管理道がなく歩きにくい
残堀川と立体交差
玉川上水駅(西武新宿駅から直通電車あり)付近は、玉川上水の中でも「要所」となる場所で、ふさわしい駅名だといえます。
この「要所」では野火止上水と分岐します。
またここを起点に、下水の処理水を使って清流が復活しました。
唯一清流とふれあえる場所がありますが、本当の所、多摩川の清流ではないわけです。
清流とふれあえる貴重な区間(玉川上水駅付近)(野火止上水へ分岐します)
武蔵野線トンネルへの道
千川上水はこちらへ
すでに上水道としての価値はありませんが、良く整備されており、木陰の中をゆっくり散歩できます。
途中JRの下をくぐります。この区間は、単なるどぶ川にしか見えず、本当にこれが玉川上水なのだろうかと周りを見渡したところです。私がこの単なるどぶ川に興味をしめし、きょろきょろしているのを、駅前を行き交う人は不思議そうに見ているのです。
三鷹駅の下は単なるどぶ川にしか見えない
井の頭公園に突入
途中、井の頭公園を越えると、丘陵の斜面という地形になり、水面がずいぶん深くなります。等高線にそって、斜面を横切るというのは、自然の川には無い不思議な風景です。
斜面を横切る上水
深い谷になっている(三鷹台駅最寄り)
久我山駅付近では、雑木林や農地(市民農園)が広がっていると思ったら、都市計画道路の計画地になっているのだとか。この先玉川上水は暗渠(地下)となり、高速道路や地下鉄の用地に利用されるのですが、その二の舞ということかもしれません。幅60mの間に清流も保存するということで、完璧に暗渠化する下流とはひと味違った計画のようです。
農地が広がっているのは道路用地だとか(久我山駅最寄り)
玉川上水に沿って道路計画(赤色の線)
富士見ヶ丘駅付近で開渠は終わりです。この先は暗渠化されて、地上からはどこに流れているのか推測するしかありません。
開渠はここまで
(07.07.16)
水が見えなくても流れはあるものです。
玉川上水の水が流れている区間は散歩道として認知されているところなのですが、下流部は水の流れが見えないということで、散歩のための情報も限られてきます。あまり期待せずに、歩きはじめたところ、変化に富んだ興味深いものでした。過去の遺産を探索する歴史散歩と思えばなかなかおもしろいものです。
今回の案内図
参考サイトにルートの地図へのリンクと書籍を紹介しましたから、どちらかを持参して訪ねてみてはいかがでしょうか?
桜上水駅付近の気になるところ
この辺は幹線道路の歩道をのんびりと歩く、大変退屈な散歩が続くのです。
高速道路下の側道
あまり下調べをしていない私は、この先も続くのかと不安でした。
ボーッと歩いていると、つい見過ごしてしまいそうな茂みが、公園への入り口なのでした。これで単調な歩道ともおさらばです。
緩やかなカーブを伴って大通りから分岐
上水路敷を緩やかにカーブしながらすすむのです。
たまに清流がある
細長い公園が続いていましたが、ふたたび大通り(甲州街道)に合流します。公園にはちょっと狭い中途半端な土地が月極駐車場になっていました。所有者は東京都の出資する第三セクター会社。これから先も時々お目にかかります。迷ったかなと思ったときでも、ここの駐車場を見つけられれば、ルートは正解だとわかります。
たまに駐車場になっている
上水路敷は大通りに合流していきます。狭くなるので駐車場としては不適で、単なる緑地になっています。
緩やかに大通りに合流
しばらく甲州街道を歩きます。単調です。この辺りは、首都高速の永福料金所があるところです。本線のすべての車両が料金を支払うため、ブースを設置するための用地が必要でした。ここには玉川上水路敷があったので、用地が確保できたのでしょう。とにかく水路を見つけると高速道路の用地にしてしまう時代があったようです。
明大前駅付近の気になるところ
甲州街道から分岐します。ここでは墓地と甲州街道の隙間にあるのが上水路敷。道路の敷地か墓地の敷地と思う人も多いでしょう。
また緩やかに大通りから分岐
もう少し進むと大学前となります。最寄り駅が明大前駅の大学です。大学の門の外にある広場が、上水路敷です。待ち合わせなどにちょうど良いスペースとして重宝されているのでしょう。
大学前の広場状「上水路敷」
明大前駅付近を走る京王井の頭線を横断します。横断箇所では導水管がむき出しです。ここは上水路敷が線路の上にあるのです。これも水道橋と呼んでいいのでは。
導水管がむき出し
京王線の上でした
ここも公園になっていて、玉川上水路敷であることを示す標識があります。今までの公園にもあったのですが、落書きがひどくて、判読困難でしたから、ここのを代表で紹介します。
どの公園にもこんな標識が
静かな公園になっている
公園をすぎると水道局の巨大なタンク。一般人は入ることが出来ません。しばし迂回をします。この玉川上水。途中から清流が消えてしまいましたが、流れに沿って歩くことが出来ました。迂回をするのは福生市以来です。
行く先は水道局用地
水道局反対側
水道局を出た上水路敷は、十数メートルの幅を持っているものですから、月極駐車場になっているのです。もちろん管理は例の第三セクター会社です。上水路敷は大通りに近づくにつれ狭くなってきます。駐車場に代わる土地活用方法が駐輪場です。そして雑草しか生えない空き地になって大通りに合流です。
駐輪場で有効活用
大通りに合流
またしばらく甲州街道を歩きます。
代田橋駅から幡ヶ谷駅の気になるところ
ここは京王代田橋駅付近。思ったより先に進んだ場所なのでとまどってしまいました。
ここを探すのが大変
代田橋駅付近からはまた、水路が復活したり、公園があったりで、楽しい散歩道です。
この付近には和田堀給水所という水道局の施設があり、導水管が四方に延びて、各地に上水を供給しています。その一本が写真の様に玉川上水路敷に交差しています。
現役導水管が交差する
散歩道は京王笹塚駅にぶつかります。ルートは鉄道敷にある感じです。よくわからないままに、右に迂回し、しばらく線路に平行に歩き、また右に向かいます。何も予備知識がないと迷ってしまうでしょう。
京王笹塚駅にぶつかる
駅前を右に大回り
ふつうの川のようだったり、公園として利用されたりです。
ふつうの川に見えたり
公園として利用されたり
また迂回を余儀なくされる場所がありました。バス転回所として利用しているため、遊歩道は中断し、歩行者は車道を歩くことになります。
バス転回所として利用
新宿にむかって一直線
このような感じで、清流は無くとも散歩道としては楽しいルートです。公園はバラバラに区が管理しており、駐車場など別の用途で使われているところも多いため、全体をひとつの遊歩道として見てもらえていないところがありますが、歩いてみればひとつの流れとして立派な散歩道だと思うのですよ。
(07.08.13)
上水跡はまだつづく
案内図その1
笹塚から迂回してきましたが、初台駅に近づきました。
初台駅
しばらくは、遊歩道をのんびり歩くことになります。甲州街道を付かず離れずという位置で、静かな道です。
遊歩道
また駐車場がありました。今までの狭い駐車場に比べるとビルが1棟立ち上がりそうな広さです。新宿至近のこの土地はいずれビルになると思うのです。
駐車場
ちゃんと横には通路が確保されています。
通路
いつもの第三セクター土地管理会社に加え、電鉄系の不動産会社も名を連ねています。この地下には京王の本線(急行線)も走っていたのです。駅の出入り口を撮影した初台には本線の駅はありません。甲州街道の下を走っている新線の駅でした。
月極駐車場
ビルの谷間の公園
ビルの谷間の公園
上水跡が描くカーブ通りに、建物が建っています。
上水跡に忠実な建物
明大前の大学でも、広場のように使われていましたが、この大学前も広場状になっていて、あたかも大学の広場の様になっています。女子大学ということで、写真撮影の際は、ガードマンの様子が気になるのでした。私は上水跡を撮影しているだけなのですが。
大学前の広場
そして上水跡はビルの谷間に消えていくのでした。
上水跡はビル街へ
こちらは殺風景な公園になっています。
殺風景な公園
案内図その2
遊歩道が無くなり、ふつうの道になってしまいました。
ふつうの道
そしてとうとう突き当たりにビルが。
突き当たりのビル
このビルは水道局にゆかりのあるビルでした。
ビルの由来
ビルの奥を覗いてみると、そこは新宿駅。一番西側には小田急が走っているわけです。
線路の下に上水
上を見上げると、高架道路のような構造物。上水跡の部分が出っ張っています。
上水跡の位置
高架道路の様な構造物は新宿駅南のサザンテラスでした。先ほどのビルも面しています。
上水の位置
方向としては、このサザンテラス口を通った先だと思うのです。
サザンテラス口
新南口前で、どこにあるのか見失ってしまいました。
新南口より東を望む
案内図その1
見失ってしまってしばらく、「雷電稲荷」が登場。上水と関係あるらしいのですが、ここが上水だったという記述までは見つけていません。この細長さが、なんか上水と関係ありそうですが。
雷電稲荷
甲州街道は緩やかなカーブを描きます。上水の流れとあっているのでしょう。
高校前
植栽帯がありました。このような中途半端な土地は上水跡に違いありません。
植栽帯
よくわからないままに、新宿御苑の散歩道を歩きます。ここは入場料は不要です。
新宿御苑
新宿御苑の北東角にある大木戸。ここはまだ上水跡の終点ではありません。公共施設がいろいろ入っているビルをすり抜けます。
公共施設を通る
ビルをすり抜けて。
公共施設をすり抜けて
ゴールの四谷大木戸口跡です。
四谷大木戸口跡
(07.09.10)
案内図(全体と今回の部分)
埼玉県東部における農業用水のメインルートともいえる見沼代用水は利根大堰から取水するところから始まるのです。
利根大堰
利根大堰では、埼玉用水路、武蔵水路、見沼代用水(路)の他、浄水場に取水しているのです。
分水堰
一番右側が見沼代用水(路)となります。
見沼代用水(路)
埼玉用水路は東方向に分かれます。
埼玉用水路
利根川から大量の用水が供給されるわけですが、見沼代用水の本流は少し逸れた上流から始まっています。水路自体は更に上流から流れているのですが、それは見沼代用水とは呼ばれていません。
見沼代用水の最初
見沼代用水の傍らには「緑のヘルシーロード」という遊歩道が設置されています。ただし歩くには単調すぎるので、自転車利用が多いロードです。
緑のヘルシーロード
見沼代用水の一部は、星川の流れを利用して造られました。西の方から一級河川星川が合流します。
星川
星川と見沼代用水が河道を共有しているわけです。
標識
民営鉄道と河川は相性が悪いようです。緑のヘルシーロード利用者は案内板を頼りにすでに迂回しています。
行き止まり
道路と河川は相性が良いようで、地下道が設置されています。
地下通路
水路を眺めると、星川が加わり、川幅は広くなっているのです。川でもあるのですが、用水でもあるこの星川には、流入する河川・水路がありません。生活雑排水はもちろん、道路に降った雨も取り込まないのです。
川幅
用水ですから、合流はせず、分流するのです。これは玉川上水と同じです。前方と側方に堰が見えます。
堰
側方(東側)は騎西領用水へ分水です。
騎西領用水へ
騎西領用水は公園になっています。ところどころこのような施設があるのです。
騎西領用水
周囲に住宅が広がるようになりました。
住宅地内
東方向へ星川が分岐しました。合流したときと同じような川幅です。
星川
こちらが見沼代用水方向。星川に比べて狭いのです。
見沼代用水方向
星川が合流する以前の水路幅に戻りました。
分岐後の水路幅
カーブは滑らかに。人工的な水路なのです。
カーブ
この先、川があるので、地下を通って越します。
柴山伏越
断面はこんな感じとのことです。
伏越の説明
この地下道は冠水するようです。
冠水注意
緑のヘルシーロードは状況に応じて右岸・左岸と行ったり来たりなのです。
右岸から左岸へ
この先東縁(ひがしべり)・西縁(にしべり)に分かれます。
東縁・西縁の分水
東縁・西縁は、しばらく並行します。
東縁・西縁
つづきは次の機会に。
(12.04.16)
用水路の最後はどうなっているのか見てみました。
案内図(全体と今回の部分)
利根川よりやってきた見沼代用水は、ここで西縁(にしべり)と東縁(ひがしべり)に分かれます。
分岐点
しばらく並走します。
並走区間
以後、用水を境に農地と市街地が分かれています。農地は主に左側に広がります。
農地のある風景
このあたりは両側を住宅地に囲まれました。この先幹線道路と交差するため、用水は地下にもぐります。用水上に橋で幹線道路を渡すより、一体をかさ上げした方がよいという判断でしょう。
地下へ
用水を地下にしたものの、地上は何もすることなく放置されています。緊急用の何かには使えそうです。
何も無い地上部
幹線道路を横切ります。この先は公園になっています。
第二産業道路
こちらはかさ上げした土地を公園として活用しています。用水は地下にあり、これは地表につくられた小川です。
公園区間
この地下には芝川がもぐっているのです。用水と混ざるといけないので立体交差となるわけです。
芝川に広がる農地は見沼たんぼと呼ばれ、首都圏の貴重な自然とされています。このあたりは見沼たんぼの最上流部ということになります。
この先に見えるのはJRの操車場です。
芝川が伏越し
芝川の上流側を望みます。市街地が迫り、見沼たんぼは終わりになります。このJRの操車場も見沼たんぼでであったところです。見沼たんぼは大切な自然ですが、個人の所有であるので売買されてしまうのです。都市計画法の規制でむやみに開発は出来ないのですが、公共性のある施設は比較的容易に立地してきました。
見沼たんぼの終わり
途中風車のある公園を通ります。風車横の歩道橋は用水をまたいでいます。
風車のある風景
左の建物が中学校、奥が総合病院です。いずれも見沼たんぼに建てられています。この他、見沼たんぼにあるのは福祉施設、防災センター、自動車教習所、公園などが数多くあります。いずれも無くてはならない施設ですが、自然を守ろうというところに立地しているのは、理解に苦しむところです。
中学校と総合病院
見沼たんぼは絶好の高速道路用地でした。仕方なく横切るというより、たんぼを利用して道路を作ったのです。
高速道路のある風景
周囲は市街地になりましたが、農業用水は供給されているのです。
市街地を行く
水路幅が狭くなってきました。水を供給する一方、補給が無いのですから当然です。
せまくなる
暗渠化の入口
暗渠化
商店街の下に用水が流れています。用水で分断するより遊歩道にした方がよいとの判断なのでしょう。
商店街
終点はあっけなく登場しました。見沼代用水を管理はここで終了し、ここからは地元自治体の管理する排水路になります。
見沼代用水西縁終点
見沼代用水が終わった後の行方を探しました。排水路ですからこの先合流のみのはずですが、用水の名残があり細かく分岐しており、網の目のようになっています。中でも規模が大きいルートをたどってみました。よってこのルートは正確な資料に基づくものではありません。
用水としての管理が終わってからは単なる排水路です。各建物より雑排水が流れてきます。
雑排水
用水が終わり、水の流れは急に遅くなりました。どちらに流れているのかわかりにくい状態です。大雨の際の排水路という役割が強いものなのでしょう。
よどむ水路
用水とは逆にどんどん合流していきます。大きな水路に合流です。
合流
合流を繰り返し、水路幅が広がっています。
ひろくなる
排水路も終わりです。
水門
笹目川に放流です。
笹目川
(12.07.09)
西縁に引き続き、東縁も歩いてみました。
案内図(全体と今回の部分)
見沼代用水は東縁と西縁に別れます。今回は東縁を追っていきます。
西縁と東縁の並走区間
大きくカーブします。用水路は人工構造物なので、基本的に曲線が滑らかです。河川が一般道路のように曲がったり折れたり不規則なのに対し、用水は高速道路のように滑らかなのです。
東に大きくカーブ
ここは古くからの道が並走していたので、踏切がありました。
JR宇都宮線
東大宮バイパスを望む。
東大宮バイパス
交通量の多い県道横断部は立体交差で安全です。
県道横断部
相変わらず、鉄道との相性は悪いのです。行き止まりで迂回します。もちろんあらかじめ迂回するように案内はありました。
東武野田線
近隣の踏切に大きく迂回です。
近隣の踏切
市街地が広がっています。
市街地を流れる
農地が広がっています。このルートは東縁(東の端)なので、西側に農地が広がるというわけです。
農地が広がる
春になれば桜並木となります。
桜の並木
通船堀という史跡があるので、ちょっと寄り道をします。見沼代用水は、東縁と西縁が用水の供給をし、その中間地点にある芝川に排水する仕組みです。かつては物資の輸送に船が使われ、通船堀は見沼代用水と芝川を結ぶ連絡ルートだったのです。
通船堀への分岐
近年、史跡としてきちんと整備されたので、遊歩道や柵が完備されています。。
通船堀
閘門(こうもん)の役割は、水路の階段となります。パナマ運河が大規模で有名でしょう。そもそも用水路は農地より高い位置、排水路は農地より低い位置にあるわけですから、高低差が当然です。3mの高低差を2箇所の閘門で解消しています。
閘門
芝川に流れていきます。
芝川への放流口
これが芝川です。農業排水のみならず、地域の雨水排水を一手に引き受けますから、大きな断面です。
芝川
代用水に戻り、外環を望みます。
外環を望む
外環の下では完全に地下にもぐります。
地下へ
たまには遊歩道を伴います。
遊歩道
市街地を進みます。
市街地
これから首都高速をくぐります。
首都高速手前
おそらく用水は首都高速を斜め横断する流れだったのでしょう。しばらく道なりに流れます。
首都高速に沿って
首都高速を離れると進路は左方向です。
左に向けて
どうやら用水の最終地点は毛長川のようです。
毛長川
早急に改修後の姿を見学に行かなければなりません。
改修中
見沼代用水のルートは下流につながりますが、浄化した水になっているようです。
下流は浄化した水
浄化した水を使って、遊歩道は続きます。
遊歩道
(12.08.06)