あれこれ迷うより「おすすめ」に従うのが、間違いのない買い物の近道です。しかし、なぜ「おすすめ」なのか考えないでいると、「見切り品」まで「おすすめ」されてしまうかもしれません。賢い消費者を心掛けたいところです。
初めてはいる食堂で、あれこれ迷うことがあるのです。そんなとき目は挙動不審で、放心状態です。昼時で急いで決めないといけないとなれば更に針のむしろに立たされた感じです。
そんなとき「おすすめ」があると、助かります。先ずはおすすめを頼んでおいて、次回のためにメニューの研究を始めるのです。
電気屋さんでは、一見同じ様に見える商品を前に、途方に暮れているとき、「おすすめ」のシールが貼られていると、ほっとするものです。食堂と同様に、おすすめを選んでみて、他の商品を比較するとどのように違うのか良く理解できるものです。そのまま「おすすめ」を買うのも芸がないのですが、「おすすめ」は納得いくということが多いのです。
「おすすめ」を買うのでは芸がないと考える場合もあるでしょう。徹底的に得をしないと気が済まないという人もいるでしょう。バーゲンのチラシを片手にがんばるのです。
自家用車の購入なんていうと、みなさんかなりの力をつぎ込むことになります。性能、装備、価格に始まって、「愛車セット」は値引き交渉に含めないとか、セールスマンを焦らせとか、とにかくみんなが「にわかあきんど」になる瞬間です。
しかし、いつでもそんなフルパワーで交渉に望むのは大変です。昼食や小さな家電に事前の商品比較なんて大変でしょう。やっぱり「おすすめ」してもらえると助かるのです。
「おすすめ」が便利だといって、手放しで喜んでばかりはいられません。本当に「おすすめ」なのか一度は疑うべきでしょう。
食堂での「おすすめ」はランチタイムメニューです。夜は高くて手がでないお寿司屋さんも、ランチなら手を出せることもありますし、洋食屋さんなら単品のハンバーグと同じ値段で、えびフライが付いてきたりします。毎日、あれこれ悩まずにお店の得意料理を出してもらうというのもありがたいことです。
でも「おすすめ」といいながら、「見切り品」をすすめることだって有りえます。「見切り品」は、得をしているのではなく、商品が劣っていることを前提に価格を安く提供しているだけなのです。
あまり穿った見方をしてばかりでも疲れてしまいます。「おすすめ」を基準として、他を比較するというちょっとした工夫で、きっと賢い消費者になれるでしょう。おすすめをうまく活用していきたいものです。
(05.03.16)
利用者側から見ると自動販売機のシステムは3歩前から始まっているのです。操作パネルだけでは完結しません。
ジュースの自動販売機の商品見本は離れたところからよく見えますから、歩きながらでも商品を決めることができるでしょう。自販機にお金を入れたら、商品のすぐ下にあるボタンを押せば、希望する商品が手に入るというわけです。
このように自販機の利用には、その3歩前から始まる流れがあるといえるのです。
見本の直下にボタンがある
商品が増えると、商品一覧を別に掲示する事になります。商品に形はありませんが、電車の運賃表はその一例でしょう。
運賃も調べず、いきなり券売機の前に立って途方に暮れている無計画な人もいますが、たいていは券売機から少し離れたところで、あらかじめ運賃表を調べることでしょう。3歩下がったところから眺めるということで、利用者の動きはジュースの自販機と同じです。いつもお決まりの切符を買う人は、のんびり調べている人をかき分け、先に券売機に向かうわけです。
三歩離れて運賃表を見る
電車の券売機のボタンは運賃の安い区間から順に並んでいますから、たくさんのボタンが並んでいても、探すのは簡単です。しかし自動販売機で売られているものは、順序関係が簡単なものばかりではありません。
食券は、難しいもののひとつでしょう。立ち食いそばの自動販売機は、その店の商品の豊富さを誇示するかのように何十ものボタンが並んでいます。「かけそば」の値段が安いで上の方にあるのは想像つきますが、「ちくわ天そば」と「けんちんうどん」の位置関係はちょっとわかりません。
食券の販売機では、商品一覧とボタンとの連携が良くないようです。ボタンを選ぶ動作が、メニューを決める楽しさではなく、一覧表の中から選び出すという苦痛な動作に成り下がってしまっているのです。本来、「かけそばに玉子入れてね!」と、一言で済むことなのに、面倒な苦労をかけているのですから、せめて簡単に選べるような工夫は欲しいところです。
けんちんうどんが見つからない
お店もそのことは認識しているので、いろんな工夫をしてくれています。
ただし上のふたつは「おすすめ」を選ぶときにしか役に立ちません。初めてのお店では、迷いながらボタンを探すより、だまって「おすすめ」を選ぶのが無難ということです。
私の提案は、掲示する商品一覧の配置を、ボタンと同じ配置にしておくというものです。こうすればメニューを決めると同時に、販売機上のボタンも一発で探し出せます。
品物が増えるのに比例し、ボタンを探すのが大変になります。そんな悩みを解決してくれるの、がタッチパネル方式です。対話式といって、何回か質問に答えていくと、最後に希望の商品にたどり着くという仕組みです。一度に目にするボタンの数が少ないので、ボタンを探すという苦痛は軽減されます。
対話式といっても、よくわからない用語で意味不明の質問をしてくる事もあるのです。従来、商品とボタンが一対一の関係にありましたから、必ずどこかにボタンがあるという安心感がありました。しかしタッチパネル式の選択肢は、パネルに対面して初めて知らされるものです。ちょっとした操作ミスで自分の目的とかけ離れた質問が登場することもあるでしょう。想定外の質問にきちんと答えられるかどうかが疑問なのです。追い打ちをかけるように大きな声で「○○して下さい」なんて、余計な音声メッセージが流れたら、確実にパニックを起こします。
息子の切符を購入するために、ICカードを券売機に挿入すると、「チャージの金額はいくらですか?」と、想定外の質問を受けました。普通ICカードの利用者はピッと自動改札機を利用するものなので、先にICカードを挿入する利用者は、ほとんどがチャージのための利用ということになっている様です。でも今回は息子のために「切符」を購入するつもりだったので、突然「チャージ」についての質問を受け、ハッとしたものです。
こういった対話式のシステムはパソコンや家電でもおなじみですが、自動販売機では後ろに並ぶ人たちの存在が無言の圧力になっていることを忘れてはいけません。たとえ後ろの人が大して急いでいないとしても、気になるものです。自宅のパソコンの前なら、何度もやり直しをすることは気になりませんが、大勢の人たちが後ろに並ぶ前で試行錯誤をするのは、大変な勇気が必要です。
いろんな種類の切符をいろんな人が購入するのですから、いろんな券売機があってしかるべきでしょう。
これらは特に強調するまでもなく、旧来から実践されていることです。でもそれは、利用者の利便というより機器の機能やコストの制限から考え出された苦肉の策であった様に思えます。単機能である方が機器にかかる費用が軽減されたり、ボタンが固定されているので、商品(切符の種類)を増やせなかったりしたのです。ところがタッチパネルはパソコンソフトのバージョンアップの様にどんどん多機能にすることが可能となるのです。それなら単機能を作るより多機能を作るという発想になるのでしょう。その動機は、「良いものを作る」という善意に満ちあふれたものなのです。しかし、結果として購入時間がかかる利用者とかからない利用者が混在する結果となり、「いらいら」したり、「はらはら」したり、みんなが不幸になっているのです。
自動販売機の前で放心状態になっている人、何度もやり直しをしている人を見かけるにつれ、「高機能=いいこと」とは、とても言えないと感じるのです。
(05.04.11)
迷路のような都市高速道路では路線番号ぐらいしか覚える余裕がありません。
前回取り上げた自動販売機などは、まだヒューマンスケールの慌ただしさです。意識すればゆっくり考える時間も確保できます。でも首都高速のような都市高速道路ではそうはいきません。次々に出現する分岐の度に右に行くべきか左に行くべきか瞬時に判断しなければなりません。
首都高速はまるでブラックボックスの様です。周辺地域から東京に集中する高速道路が、都心部でどうつながっているのか理解しにくいところです。地図で見ればそんなに難しい迷路ではないのですが、実際に走ってみると大混乱で、今どこを走っているのか考える余裕もありません。
ブラックボックスのように見える
初心者は渋滞の時にチャレンジするのが無難でしょう。防音壁に囲まれた狭い道路では、法定速度の時速60kmであっても、さながらテレビゲームのような感覚です。次々に現れる風景に視線は挙動不審の状態となります。恥ずかしながら、初めて首都高速を利用したとき、ゲームオーバーになってしまいました。事故ではないのですが、東名高速から東北道に行く途中で、不意に神田橋ランプで降りてしまったのです。
その時の私は、走行のコツがつかめず、次々に現れる案内標識に「どっちに行けばいいのか?」とじっと考え込みながらの走行でした。「神田橋」という文字を見つけると「神田方面」なのだと勘違いし、高速道路から降りてしまったという訳です。
利用したことのある人ならご存じでしょうが、混乱しないコツがあるのです。それは余計なことを覚えないで、自分の目指す「路線番号だけ」を覚えておくという方法です。東北道に乗りたいなら、「6号線経由S1号線」とだけ覚えて、他には何も覚えず、看板の表示も無視します。自分だけのルートを記憶する「マイルート戦略」です。現在の位置とか走行中の路線は関係ありません。ひたすら案内表示が示す路線番号に従い、右、左を繰り返すのです。
1.とにかく6を追う
2.今度は左だ
3.とにかく6を追う
4.「東北道」にまどわされるな
5.S1が登場した
6.今度はS1を追う
途中の4番目の標識は要注意です。6号線と東北道が別の案内板に書いてあります。でもどちらにしようかと惑わされてはいけません。「マイルート」は6号線とS1号線です。S1号線が登場するまでは6号線に従えばいいのです。5番目でようやくS1号線がでてきました。ここで初めて頭を6号線からS1号線に切り換えるのです。この様な例を見ていると、むしろ地名の表示は参考程度にとどめるという割り切りが必要だということを確信します。
「マイルート」を健康診断を受ける病院で発見しました。「レントゲンは床の黄色い線をたどって下さい」と言われ、廊下や階段を右往左往する内に目的地に到着。これを「階段を突き当たって」とか「○○室を左に曲がって」という表現で説明を受けても果たしてたどりつけたかどうかです。
道を覚えるというのは、脳に大変負担がかかる事なのです。ですから簡単に表現できることが大切です。かつて新聞のコラムに書いてあったことなのですが、外国人が首都高速の分岐点でどっちに行けばいいのかわからずに立ち往生していたとのこと。その時は漢字で行き先が表示されていただけのようです。日本語が読める私でも、地名だけを示されても困ります。
考えてみれば、上の標識から番号を除いた時、行き先表示だけで東北道にたどり着くためには、首都高速のネットワークと主要な地名の位置関係を理解しなければなりません。大変な負担です。路線番号があることで、ブラックボックス走破のために必要な暗記事項が格段と減っているのです。これは画期的な事でしょう。
「[番号をきめるのもひと苦労]道路は主役(3052.html)」で、道路に名前をつけないと道案内に困るという主旨のことを書きました。市街地なら言ったり来たりすれば済むじゃないかと、ピント来なかった方も、高速道路という極限状態なら、路線番号が不可欠だということが少しはわかっていただけるのではないでしょうか。
(06.08.14追加)
ポピィさんよりゲストブックに書き込みをいただきました。
- http://www.kictec.co.jp/sing/annai/108A-108E/108A.htm(http://www.kictec.co.jp/sing/annai/108A-108E/108A.htm)
- 一番上の案内標識でよくあるのが行き先がたくさん書いてあって結局直進なのか曲がるのか判断に苦しむ標識。
- 一番上の右の標識もダメです。
- 今走行している道(何号線)をずっと行けばいい場合に、自分が何号線を走行しているのか忘れてしまうときがあります。
- よって、自分が何号線を走行しているのかも表示すべきです。
- 緑色の案内標識も色を変えてもらいたいものがあります。
- それは高規格道路だけど無料で通れる道路のときです。
- 無料ならば通るけど、有料の場合は通らないことはよくあることだと思いますが、どちらも緑色の看板だと迷ってしまいます。
(05.05.23)
首都の方向なんて、運転中は関係ないのです。自分の目的地がどちら方向なのかが知りたいのです。
アメリカの高速道路を運転していて気づくのが、路線番号を示す道路標識に付いている方位の表示です。東西南北が表示されていて、うっかり逆方向に走っている時に、役に立つ情報です。
そもそもアメリカの高速道路は方位を示すのには適したネットワークを持っています。正確ではありませんが碁盤の目の様に整然と張り巡らされているのです。
ちなみに路線番号の付け方がとても機能的なので感心します。
路線番号の付け方からして、方位を意識しているのですから、方位の表示は苦ではないでしょう。
都市圏の環状道路でも、ルールは踏襲されています。一周を4区間に分けて、南北の区間があったり、東西の区間があったりです。
上記で紹介した高速道路(インターステートハイウェイ)は、道は国家を支えるということで、大統領が音頭をとった国家戦略で、近年で言う「情報ハイウェイ」の元祖です。かなり計画的なので、路線網は整然としています。
一方、日本で国道にあたる「USハイウェイ」は、自然発生的な路線網です。四方八方に路線が延びているので、明確に東西南北は言えませんが、それでも方位はきちんと示されています。方位があった方が便利だということに違いありません。
方向の表現はこれといった決め手がないのが実際です。東西南北を意識しないで生活することも多いでしょうし、宗教上の聖地の方向が重要視されることもあります。
日本の道路や鉄道は東京が中心になっているようです。支線であっても分岐方向は東京向き。管理する際、東京方面を「上り」、反対方向を「下り」と言っておけば、とりあえず間違いないという事なのでしょう。区別できればA線B線(東京地下鉄の場合はこう呼んでいます)でも問題ありません。逆に今からアメリカ式に東西南北をつけるとしたら、判断に困る路線も数多くあることでしょう。
路線網と日本の首都は簡単には切れない間柄ということはわかりますが、私たちが旅行をする場合、どちらが東京かなんて関係ありません。首都の方向より、自分の目的地の方向がずっと大切なのです。
実際には上り下りだけでは運転しづらいと判断したのか、目的地となる地名は表示されているのです。でも案外混乱を誘うものなのです。
高速道路に乗るときの心構えとして、自分が西にいくのか東に行くのかという方位を先ず思い描くのです。ところが、入口(インターチェンジ)で表示されている案内は「○○方面」。東京とか名古屋とか県庁の所在地クラスの地名です。地名は知っているのですが、自分の行く方向がどちらなのかと問われると、ちょっと悩んでしまうのです。
こんな3段論法が頭の中をぐるぐるですから、「西」とか「東」という方位の情報は不可欠です。慣れてしまえば不自由はなくても、よそから来た人にとっては、方位のみが唯一頼れる道しるべとなるのです。
(05.07.04)
勝負は電車を降りる前から始まっているのです。
だいぶ乗り慣れたはずの東京の地下鉄なのですが、最近乗り換え駅で右往左往するようになったのです。駅のサインシステムが変更になったことが原因なのに違いありません。
今までは、強い味方がいたのです。
右か左かすぐわかる
こんな乗り換え表示が、柱に貼り付けてあるのです。柱数本に1箇所ですから、電車が止まるまでにちょっと目を凝らせば、この表示が目に入ります。自分が右に行くべきか左に行くべきか、簡単に判断できたのです。
[視線が挙動不審]マイルートで運転に専念(3062.html)では首都高速の運転での「右か左か」の大切さを痛感しています。まずは何よりも、目前にせまった分岐を、右か左かを判断する必要があるのです。
地下鉄でも同様です。降りて左右どちらに行くべきなのかが重要な情報なのです。さもなければ、雑踏でもみくちゃにされてしまいます。
新しいサインシステムで重視したことは、必要なところで必要な情報を伝えることのようです。すべての柱に、駅名が貼り付けられ、私が重宝していた乗り換え表示は撤去されてしまいました。電車で降りる人に必要な情報は「駅名」のみのようです。
そんなに駅名ばかりを強調しなくてもいいと思うのですよ。目的地に不慣れな人は、五感をとぎすまして、車内案内や車内の電光掲示板を確認したうえで、注意深く駅の様子を確認しますから、駅名板はそんなにいりません。
除去された乗り換え表示は、少し奥まったところに配置され、プラットホームに降り立てば、見つけることが出来ます。奥の柱とか、奥の壁とか、天井とかです。いずれも、車内から見るように考えられていない位置です。
しかも、あまりたくさんはありません。情報の洪水にならないようとの配慮でしょう。駅に降りてから、のんびり探しましょうということなのでしょう。
電車内では駅名を確認し、降りたプラットホーム上で乗り換え表示を確認するという2ステップ方式、言葉の上ではすっきりするのですが、何とも腑に落ちません。
地下鉄会社がサインシステムのモデル事例を写真で紹介しています。乗り換え階段を目立つようにして、ホームに降り立てば行くべき方向がひとめでわかるという主旨です。
しかし、実際は乗客が大勢ひしめき合っており、雑踏の中でゆったり見渡すことなんてゆとりはありません。電車から降りたら、乗り換え口の方向がわからないままに、人の波にのまれるわけです。そして途中で反対方向だということに気づき、方向転換する時には、都会の冷たい視線、雑踏にもみくちゃにされてしまうのです。
プラットホームで右往左往する
この駅でも、新しいサインシステムが導入されました。乗り換え表示はまばらです。
新しい乗り換え表示
まばらな乗り換え表示を埋める様にこんなお手製の表示があります。ワープロの打ち出しですが、デザインは野暮ったいものです。新しいサインシステムのまばらさを補う様に、複数張り出されています。
お手製乗り換え表示
要するに乗り換え表示の数が足りないということなのでしょう。電車で降りる人は、降りた瞬間に向かうべき方向の判断をしないといけないのです。このことは結構、重要なニーズだと思うのですよ。
(06.07.17)
定期的に本が入れ替わるだけでも、発見の予感がするのです。
書名がわかっていれば、アマゾン等のオンライン書店は大変便利です。業務で使う技術書など必要に迫られて購入する場合は手放せないことでしょう。
しかしながら現実の書店のように本棚を眺め、現物を手にとり、自分にとっての「名著」を探す楽しみは、まだ味わえないレベルでしょう。すでに購入を決意した書籍を対象とするのがオンライン書店なのです。まだまだ現実の書店は必要なので、撤退してしまわないように現実の書店で購入するよう心がけています。
大型書店はオンライン書店より目的の図書が探しやすくなっています。本棚の背表紙がずらっと目に飛び込んでくるのですから、効率は良いのです。
しかし大型であるゆえに、目的のジャンルを探すことで満足し、他のジャンルを回ろうという気にはなりません。このため予定外の「名著」を発見する機会は多くは無い気がします。
古書店については、絶版の図書を入手できるところが特徴でしょう。これには定価より高い値がつく稀少なものもあります。そこまで極端でなくても、すでに新書店からは姿を消した「名著」を発見することもあるわけです。
「古書店は安売りする」という批判を聞くことがありますが、欲しい本は結構高い値段になっています。定価に近いものだと、いっそ新品を定価で買っても良いと思うわけです。
著作者を含め出版社に古書の売り上げが還元できるような仕組みがあれば良いと思うと同時に、新書店でも新刊一辺倒でなく、「名著」が発見できる仕組みがあればよいと思うのです。
図書館は「無料」で提供され、誰もが本を読むことが出来るわけです。売りたい本、売れる本が並ぶ新書店とは一線を画すのです。
図書館でも、新書店の本が売れない原因との批判があります。人気があるからといって、話題のベストセラーを大量に購入することへの批判です。他の本を購入すべき予算をベストセラーに集中させるわけで、予算の無駄遣いと言えるでしょう。急いで読みたい人は個人で購入して、出版社に還元するのが、新書店と図書館の良い関係なのです。
地元密着型の新書店では、子供向け、雑誌、話題の本で成り立っているようです。このビジネスモデルで細々とやってもらっていれば良いのですが、立ち行かなくなるのでは困ります。特に子供向けという社会的使命がありますので、何とか継続してもらいたいのです。しかし、貢献したくても、リピーターとなるきっかけが無いのです。
当然、オンライン書店や大型書店には品揃えでかないません。でも規模の問題だけではないのです。近所の図書館や古書店には「名著」を発見できる仕組みがあるわけで、通っているわけです。
子供向け、雑誌、話題の本のうち、子供向けを除くと、新刊本のショールームといえるでしょう。返本可能な委託販売自体がショールームであることを物語っています。ただでさえ狭い店舗なのに、同じ種類の本を平積みにして、本をディスプレイしているのは、来店者にとってのメリットではありません。
話題の本という時点で、マスコミやネットで知り得る情報ですから、オンライン書店で購入することが主流になります。つまり来店客が新書店で得られる独自の情報が少ないということが欠点だと思うのです。
本が販売されれば入れ替わるわけですが、この場合同じ本が補充されるわけで、本棚の内容が変わるわけでありません。つまり、1ヵ月後、2ヵ月後にきても、それほど本棚が変わっているという期待感がないのです。
雑誌や日々進化する技術書は別として、読者にとって本が新しいか古いかはあまり関係ありません。一般的な読者は膨大な書籍を発売される度にチェックしているわけではありませんから、過去に発売された知らない「名著」がたくさんあるわけです。上記に示したとおり、一度返本になったら戻ってこない新書店には敗者復活ともいえる「名著」枠が欲しいところです。
皮肉にも、これら「名著」枠が古書店や図書館にあるわけです。図書館や古書店は自分に興味のある本はごくわずかですが、日を改めて訪問すると図書館では返却された本が、古書店では新たに仕入れた本並び、がらりと内容が変わっているのです。せっせと通って何かきらりと光る「名著」は無いかとリピーターを生むのです。
このようなリピーターを新書店で実現するには、毎月本棚総入れ替えが良いと思うのです。人それぞれに、自分だけの「名著」があるわけです。書店の側で品揃えを考えるのは大変ですし、はずれも多いでしょう。古書店の様に、偶然の出会いに期待するというのも有効だと思うのです。
ハンバーガーショップやラーメンチェーンで、今月の限定メニューと称する販売促進の手法があり、値引きせずに、「今だけ」感でリピーターの獲得につなげます。
小規模な新書店であっても、本の入れ替わりが頻繁であれば何か新しい発見があるのではないかと考えるわけです。チェーン店なら月に1回本棚ごと隣町の店舗と交換するのです。毎月変わるとなれば、リピーターも増えると思うのです。
もちろん現在の流通システムが障壁となるでしょう。新書店でのは取次店との間での配本、返本の流れがメインルートなのでこの壁を破るのが大変なのだと思います。仕方が無いので、新刊書店で古書を導入する試みがあるようですが、まず新刊本でよい循環が出来ることを期待します。
(12.02.20)
銀行ATMでの警告メッセージに、逆にあわててしまうのです。
銀行ATMでは、カード・通帳等の取り忘れ防止のために、しばらく操作しないと警告が流れるわけです。「カードをお取りください。カードをお取りください。カードをお取りください。カードをお取りください。」と、執拗に繰り返すのです。本当に取り忘れていた場合、ありがたい面もありますが、財布にお札を収めている最中だった時は困るわけです。
通帳を併用して、現金を引き出した時は、現金、通帳、カードを財布やかばんに収めていくのが大変です。
せめて、音声メッセージを「執拗に」繰り返すことは避けてもらいたいのです。そこで登場するのが「ちょっとまってボタン」なのです。
ちょっと待ってボタンはこんな感じでしょう。
警告は全面に表示し、どこをタッチしても良いようにします。
ちょっと待ってボタン
次の警告までの時間を示し、警告が出るまでにタッチすれば、音声での警告が免除されるようにすれば、ひと安心です。
緊急列車停止装置を、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8A%E6%80%A5%E5%88%97%E8%BB%8A%E5%81%9C%E6%AD%A2%E8%A3%85%E7%BD%AE)を抜粋しますと、
15km/h以上で走行中の列車の運転士が、マスコン・ブレーキ・警笛などの機器のいずれかを1分以上操作しないと警報ブザーが鳴動するとともに警報ランプが点灯し、5秒以内にこれらの機器を操作するか、リセットスイッチを操作しない場合、即座に非常ブレーキがかかる。(文は一部省略しています)
と、いうもので、居眠り防止に役立つようです。
居眠りでなくとも、機器の操作をしないことだってあるわけです。例えば惰性で進行中などは、マスコン(アクセル)を操作しません。そんな時のために「リセットスイッチ」という選択肢があるのです。
(13.02.25)