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まちづくりの基本は道路からなのです。みんなが利用するものなのに名無しなんてあんまりです。
前回の「[番号をきめるのもひと苦労] 発生順も立派なルール」で土地の番号を取り上げました。台帳上では番号順に整然と並んでいる地番も、地図の上ではばらばらになってしまうのです。住居表示によって、わかりやすい番号がついたところで、道路に名前がないので、依然として道のりがあやふやです。道路に名前がついていないのでは不便である上に愛着もわきません。
日本では道に名前をつけるという意識は低いのに違いありません。無地番と呼ばれる細長い道路状の土地を、法務局に備え付けの地図に見るとそんな思いは強くなります。この地図は農地に課税をするための古い台帳を継承してきたもので、明治時代以前からの記録です。もともと課税の対象外だった道路は、所有者も番号も記されることもなく、「無地番」と呼ばれ、今も空白のまま残っています(近年は市町村に移管されつつありますが)。何も書かないと何のことかわからないので、便宜上「道」とか「水(路)」とか記入されていますが、単なる隙間ということです。道路は土地と土地の隙間という見方が私たちの意識の中にこっそりと根付いているかもしれません。
アメリカは開拓というイメージです。まず道路を造ってその両側に建物や農地を設けていったという歴史から、まず道路ありきという感じです。
そのアメリカの住所というのは、「州名」+「都市名」+「道路名」+「番号」です。都市にはすべての道路に名前が付いており、住所の一部を構成しているのです。ちょっとした都市では何百路線にも及びますから、地図を眺めているだけではなかなか見つかりませんから道路名の索引を調べることになります。日本の地図では索引に町名が並んでいますが、アメリカでは道路の名前が並んでいるのです。
主要な道路ともなると都市の端から端まで何マイルにも及びますから、道路名が見つかっても、ルールがわかるまではどの辺りを指すのかぴんとこないでしょう。「8988 W.Main.St」という住所は、Main通りのうち、都市の中心より西側のことで、番号が8000番台となるとまちのはずれとなります。そのくらい見当がつけば、探し当てた道路を行ったり来たり往復しているうちに目的地が見つかるというわけです。かつては馬車、現在では車中心の社会なので、道路が見つかるということが重要で、行ったり来たりするのは苦でないのです。
よく言われることなのですが、日本の道路には名前が付いていないから道案内が大変だというのです。「日本人は道を説明するのが下手」なのではなく、「道路に名前が付いていないので説明できない」という考え方は、よく知られているように思えるのですが、すべての道に名前を付けるという機運には至っていないようです。
現状では、国道とか県道といった都市間を結ぶ道路は名前が付けられ、道路標識や地図に載っていますが、市道レベルとなると名無し状態です。相変わらず、「ガソリンスタンドの角を曲がって、4つ目の交差点を左折」という表現しかありません。
身近な道路に名前が無いことは、不便である他に、何か寂しさを感じてしまうのです。
近所づきあいは「むこう3軒両隣」といわれます。自治会があるととその班編成がそれにあたるでしょう。道路を挟んだ両側の建物がひとつの班となります。住所の上では、背中合わせになった建物同士がひとつの街区を構成するのですが、実際の活動は道路を中心に行われると言うことです。実質的な都市の最小単位なのですが、これには名前がついていないのです。
むこう3軒両隣
名前というのは大切です。「○○市民である」とか「○○二丁目の住民である」と言えるのは、名前があるからこう表現できるわけです。しかし、実質的な都市の最小単位である「むこう3軒両隣」の名前がありません。自治会の班の名前を取り上げて「○○二丁目自治会4班の一員です」と地図に載っていない名前を言ってみても、他の地域の人には通じませんし、自分でも4班ということを忘れてしまうかも知れません。「むこう3軒両隣」単位で誰からも認められる名前があるといいのです。胸をはって自分の帰属するご近所を発表できますし、まとまりとして強く意識できると思うのです。それが道路の名前なのです。
先に述べたとおり、すべての道路に名前を付けるということには抵抗があるようで、名前のある道路には何らかの理由がありそうです。
まず、大きな道路には名前が付いています。土地勘の無い人が数多く利用することに対する配慮でしょう。大抵は歩道がついているほどの大通りであったり、歩行者優先のシンボル的な道路に限ります。目的地となる細かい地先道路は対象外と言うことです。
商店街に名前が付いているのは、名前を通じて商店同士の団結を確認して、対外的にもそのまとまりをアピールするという役に立っているのでしょう。
住宅地の地先道路もたまに名前が付いています。こちらの写真の例はある住宅地なのですが、整然と同じ様な道路が並んでいるため、迷う人が続出したのだと想像がつきます。手書き風の標識を見ると、おそらく住民の皆さんの必要から生じた名前なのだと思うのです。
手作り風道路名標識
これ以外の道路は残念ながら、土地と土地の隙間という扱いです。道路名という系統的なナビゲーションもなく、「この街区かな?」「このとなりかな?」と街区の番号を順番に辿って行くしか方法は無いのです。
普通の地先道路には名前が付かないというのが、道路に対する意識です。でも道路に名前がある方が何かと便利なのも事実です。さらに「○○通りのご近所さん」というまとまりで、地域の一員であるという意識はぐんと高まることでしょう。
そこで自然発生を待つのではなく、自治体で道路に名前を表示することをはじめたらどうかと思うのです。とりあえず市道△△号線という管理番号をつけるのです。△△は無味乾燥な数字ですが、最初のとっかかりは、これで良いとしましょう。独立した標識を建てるのはお金がかかるので、プレートを塀にかかげてもらうとか、道路上にマーキングすることから始めるのです
管理番号のマーキング
お客さんが遊びに来るとき、「たばこ屋の角で曲がって・・・」とか「××マンションの裏」とか「公園の角」等の一生懸命目印を探すより、「市道△△号線」という名前が書いてあると、伝える方が楽ですし、お客さんも安心です。
「そんな無味乾燥な管理番号ではイヤだ」「自分たちで名前を付けたい」という声が出れば、それは立派なまちづくりのスタートです。この時、「管理番号をそのままつけて、役所は気が利かない」と言う風にいやみを言われるかも知れませんが、自分たちの使う道路の名前まで「役所」につけてもらうなんて、頼りすぎです。自治体にはちょっと嫌われ役ですが、まちづくりを考える良いきっかけになると考えるのです。
(06.08.14追加)
ポピィさんよりゲストブックに書き込みをいただきました。
- http://www.kictec.co.jp/sing/annai/B/108-3.htm
- 一番上のタイプ。よくありますが、全然ダメです。
- 何故かというと、距離300mをどーやって運転手が判断すればいいのか分からないからです。
- 例えば、交差点が220m、260m、300m、340mと連続してあった場合、どのようにして距離300mを判断すればいいのでしょうか?
- メーターを見ても300m移動を確認後ではすでに通り過ぎていますし、車線変更禁止の場合300mよりも前の地点で判断しなければいけませんが、これも難しい。
- (解決方法は、距離で示すのではなく"3つ目の信号"とか"3つ目の交差点"といった表示がいいと思います。)
- あと、明治通りと通りの名前が書いてありますが、これもダメです。
- 地図には通りの名前ではなく、国道1号線とか県道2号線と書いてあるので、何号線の表示が必要です。
(07.03.12追加)
通り名で道案内
このコンテンツを書いているのと同時期に、国土交通省はちゃんと施策として推進していました。その名はずばり「通り名で道案内」。
「通り名で道案内の位置番号」で郵便が出せるようになれば、「住居表示の住所」は陰が薄い存在になるでしょう。今後どんな役割分担となるのか楽しみです。
ところで「通り名」は「とおりな」と読めばいいのか。HPのアドレスが「torimei」なのが気にかかるところです。
(05.01.17)
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