安くて効果的なのが「点」への公共投資です。
公共投資は1点集中が目立っていいでしょう。「○○センターを建設します」といった公約や施策は住民に理解しやすいし、期待感もあります。道路や下水道は整備を始めるときりがありませんが、1点集中なら結局安上がりです。ハコモノ行政と批判を受けることもありますが、手っ取り早くアピールしたい気持ちは良くわかります。
これらの施設は必ずしも目立つところにあるとは限りません。駅前に重点的に配置できれば、市外から来る多くの人にもアピールしますが、公共投資は「広く平等に」が原則ですから、分散配置になりがちです。「点」の公共施設は、地域住民には受けがいいのですが、都市全体のイメージアップのためには、効果が薄いということになるのでしょう。
経済的には有利な「点」への投資をより効果的なものにするため、「点」を移動式にして、目立たせようという発想がありました。「点」である路面電車を動かして(当たり前です)至る所に出現させるのです。
私自身、都市の景観と鉄道車両というのは、今まであまり関連づけて考えてきませんでした。
そもそも鉄道車両は、ファンでなくとも「おや!」と思わせる、格好いい車両が続々登場しているものです。しかし、都市間を結ぶのが役割ですから、都市の独自性をアピールするわけにもいきません。
そこで路面電車がまちの顔として浮上してくるのですが、経営難に苦しむ場合が多く、新しい車両の投入はあまり活発ではありません。むしろ古い車両が残っていて、それがいいという「路面電車=懐古調=古くさい」というイメージが定着しています。仮に新車の投入を行うとしても、デザインに凝るというほどの動機はありません。
そんなわけで、路面電車は「まちの古い部分」をアピールするのに役立ってきましたが、「先進的」とか「格好いい」とかいう部分のアピールには役不足であったのです。
岡山市の路面電車に取り入れられた新しい車両「MOMO」は、新しいまちの景観を創出するために登場したようです。まちの景観づくりと路線電車の組み合わせは、ありそうでなかった組み合わせです。従来車両を格好良くする動機は利用客の増加という観点だけでした。まち全体を格好良くするためというのは、思いもつきません。
電車は移動可能なので1両のみ導入するだけで、市内の至る所の景観の一部になるわけです。つまり分身の術ということです。仮に絵はがきを作るとして、その1両を追うようにして根気よく撮影すれば線路に面した至る所で格好いい電車が風景の一部としてとらえられます。
よく考えてみると、市民が主体でまちの景観を考えることや、路面電車に格好いい電車が登場することはめずらしいことではありません。しかし、市民主体+路面電車という形で良いスタートを切ったことは、なかなかの戦略です。
小さな「点」への投資ですが、波及効果は計り知れないものがあるのでしょう。
(05.02.28)
「費用」対「効果」を突き詰めていくと、ちょっとした遠回り路線も、無駄な投資といわれかねません。
道路は都市から放射状に延びる路線が優先的に整備されるのが常です。都心に集中する交通で渋滞に悩まされ、環状道路の整備が期待されるのです。東京であれば、首都高速道路の中央環状線や東京外郭環状道路(外環)などの完成が待たれています。
外環は埼玉県区間が3つの高速道路(常磐自動車道、東北自動車道、関越自動車道)を連絡し、都心に流れ込む交通量が減ったという効果があったとのこと。この環状道路の利点を一般的な図に表現すれば、このようになるでしょう。
図で表現しやすい環状道路の利点
破線の流れよりも実線の流れの方が短い距離だから良いだろうということは一目瞭然です。
ところが図で表現しにくい利点もあるわけです。
環状道路利用の方が距離が長い場合もある
例えば常磐自動車道と東名高速道の関係のように都心を通る方が「距離」が短いという場合です。都心は渋滞だらけで、「時間」がかかることを経験的に知る人は多いでしょう。しかし、車を運転しない人の中には、迂回する事の利点が今ひとつわからないという人もいるでしょう。まして、「振動による施設の老朽化を抑える」とか、「騒音や排気ガス汚染を低減させる」などは、ドライバー自身でも気づかない「利点」です。
環状道路の内側からも迂回する
市内ごちゃごちゃした道路より、遠まわりでも快適な道路を利用するものです。でも走行距離が増えればガソリンの消費量が増えますし、時間的にも遠回りの方が時間がかかるとなれば、「なぜそんな迂回路を作るのか」とか「現道の拡幅を優先すべき」といった意見もでてくるかもしれません。
道路整備はいくつかの区間にわけ、少しずつ進めることになります。分割すると環状の利点が見えにくくなるのです。深刻な渋滞路線があったら、そちらの解決が先行することになるでしょう。
優先順位の付け方を図に示すと実感できるかもしれません。
目前の問題解決が優先される
この場合、おそらく路線Bが優先的となるでしょうし、路線Cの拡幅も有力です。逆に路線Aは難しいところです。たとえ、環状道路網の整備に寄与するとしてもです。
だからといって路線Aが無視されていたという訳ではなく、優先度とは別の理由で路線Aは整備されています。郊外に整備される環状道路は土地代を含めて建設費が安いため、少ない投資でたくさんの整備が可能となるわけです。市民への説明でも、たくさんの道路整備をしましたと説明できるわけです。
しかし、近年、道路整備に対する市民の目は厳しいものがあります。ほとんど利用されない道路を整備することは、無駄遣いだと判断されるのです。環状道路の整備も、当面は無駄遣いのように見えかねません。自動車は迂回をして利用する機会が増えるのでガソリンの無駄です。交通量を誘導していくというものなので、市内の交通網が完成するまでは交通量は少ないでしょう。
費用対効果を考えたとき、長期的なスパンで考えなければ収支が合わないのが環状道路です。これからますます「費用対効果」が求められるにつれ、渋滞に対して局所療法的な対応が優先されることになるかもしれません。理詰めで考えれば考えるほど、必要性が主張しづらい矛盾を抱えているのが環状道路だと言えるのです。
(初出05.04.25)(再編集11.02.21)編集前(log/1061.html)
三次元で考えるのはあきらめましょう。
A駅は高架駅です。あまり高い高架でないので、駅前広場のペデストリアンズデッキ(広い歩道橋)と同じ高さにプラットホームがあります。南口と北口のそれぞれにペデストリアンズデッキがあり、行き来をしようと思えば、階段を下りて、電車の高架下をくぐる必要があります。何でこんなに上ったり下りたりするのだろうと疑問に思いながらの移動です。
A駅
ホームと同じ高さにペデストリアンズデッキがある
ペデストリアンズデッキからは当然行き止まり
北口に行くために階段で下ります
北口ではエスカレータで上ります
バスターミナルでした
B駅は地平駅(一部高架部分もありますが)です。改札は地上にあり、地下道を経由してプラットホームに向かいます。駅前広場のバスターミナルも地下道経由です。これら地下道同士の間に改札口があれば便利なのにといつも思うのです。
B駅
大きな階段を上り
階段を下り
また上ってバスターミナルへ
駅と駅前広場、隣り合うのが必然のこの2つの施設は一体として整備されていないのです。監督行政機関がかつての運輸省と建設省、所有者が鉄道事業者と公共団体とくれば、縦割り行政の二重苦です。ご想像の通り、相互を便利にしようという仕組みは存在しません。駅の用地と駅前広場の用地がどんな形状であるのかという二次元情報のみがお互いの決めごとです。三次元情報(高さ)については、双方が同時に整備事業を具体化させてから初めて調整が可能となります。片方に具体的な計画が無ければ、一階に出入り口を持ってくるしかありません。
さて、こういうことを書いていると「縦割りの弊害」とか「役所仕事」なんてことを連想するでしょう。全体構想をしっかり持って、理想的な位置に出入り口を設定すべきだと言うわけです。
でもそんな人の悪口を言う前に、自分ならどうするか考えてみるのです。
目標を「出来るだけ階段を使わずに、バリアフリーの発想で」と設定し、理想の駅を考えてみるのですが、パズルの答えはなかなか見つからないのです。最終的に落ち着くのが三階建てという妥協案。一階は道路、二階はペデストリアンズデッキと駅の改札口、三階はプラットホームという、高架の駅なら今やお決まりのパターンです。これなら二階を基準階として、容易にバリアフリーが実現できそうです。
三階建て
でも果たしてこの三階建てがベスト案なのかと考えてみると、そうは思えないのです。バスを利用する人にとっては、階段の上り下りが少なくなりますが、全員が地上から三階まで上がる必要があります。A駅なら、地上から二階までですむことです。巨大な壁のように見える高架駅の頂上にプラットホームがあるかと思うと上るが億劫になりそうです。
三階建ての駅は壁に見える
こう考えるとよほど、良い案というのは全国共通の紋切り型では意味は無く、駅にあった最適の案を模索する必要があります。だから双方の具体的な計画が不可欠ということになり、片方がいつ着手するかわからない時点で高さの調整など無理なことなのです。
問題は三次元(高さ方向)の調整だけでなく、四次元(時間)の概念が必要ということになりそうです。実はB駅は最近になって高架化する事になりました。それまでも地元の運動はあったのですが、決まったのは最近のことなのです。駅前広場は既に整備されていますから、これを前提で高架側の出入り口を考える必要があります。結局は現状通り一階が出入り口となることでしょう。
諸条件が揃っていない時点で、無理に紋切り型の高架案を決定する必要はありません。時期も都市側と鉄道側でうまく合わせることが出来ないかもしれません。
とりあえず基準階は一階ということで、後は柔軟な対応を期待するしかありません。うまく調整ができれば便利になるし、整備時期がばらばらならそれぞれが一階を出入り口に設定することで、階段を上り下りさせられる不便な駅になるだけです。
(05.07.18)
せっかく一点豪華主義で整備する踏切ですから、幅はゆったり整備したいものです。
踏切は狭いと思うのです。おそらく昔のままなのでしょう。接続する道路が立派な歩道付きに拡幅されても踏切だけは放置されている光景をよく目にするのです。
踏切だけ狭い
歩道の無い踏切は92%もあるのです。このデータに誇張があるとしても歩道がちゃんと整備されている踏切は少ないという印象があります。
なぜこんなことになっているのかと少し考え、すぐに結論に至るのです。おそらく昔のままなのでしょう。ただ放置されているだけということに違いありません。
踏切の踏板を追加するくらいなら大したことは無いでしょうが、鉄道敷には数多くの配線があり、工事のミスで安全運行に支障があるようでは大変です。
そもそも踏切の拡幅はあまり鉄道事業のプラスにはなりません。かつての国鉄は株式会社になり、鉄道はみんな営利団体という状態です。鉄道敷は見た目は公共空間ながら、「市民のもの」とは考えない方が良さそうです。
踏切にはあまりにもたくさんの最悪が集中しています。
加えて歩道がないことにより
という問題も抱えてしまっているのです。譲り合いながらといってもここでは自動車が交通の弱者です。踏切が開いた直後、歩行者の大群が押し寄せる間は、自動車は対面通行できず、対向車との交互通行を余儀なくされています。まるで歩行者でにぎわうの商店街に迷い込んだ車両の様です。
踏切が改良されない理由を、単に鉄道側が話し合いに応じないと決めつけるのは早いと思うのです。現に線路の高架化工事は積極的に行われていますし、道路側の立体化にも協力しています。どうやら立体交差にするのは良くて、踏切の拡幅は悪いという分類が存在しそうです。
その分類が抜本対策と速効対策。立体交差が抜本対策で踏切の拡幅が速効対策となるのです。従来は、抜本対策が重視されていました。「鉄道を高架化することで市内の踏切13カ所が解消されます」なんて話を否定するつもりはありません。しかし今までは抜本対策に重点が置かれ過ぎていたということなのでしょう。
立体化ありきの発想は、全国一律に適用されてきたのだと想像できます。地方のきわめて人口の希薄そうな地域に、何本もの立派な跨線橋(道路)が整備されるのを見ると、そのお金でいくつの踏切に歩道が整備出来るだろうと考えるわけです。
近年、緊縮財政の中で、1点豪華主義的な事業で最低限の投資で最大限の効果をねらうという流れになってきています。速効対策にも重点を置くと言うことです。本来やるべきことをさしおくのは困ることですが、踏切の改良にも目が向いてくるということはいいことだと思うのです。
一時停止、ガタガタ、脱輪の危険など、渋滞の原因が山ほどある踏切で、唯一なんとか出来そうなのが道路幅です。速効対策はその可能性に目を付けたのでしょう。しかし、形ばかりの対策にならないよう、しっかり効果が出るように悔いのない整備が望まれるところなのです。
すれ違えるひとりあたりの幅というのは、約1メートルとされています。歩道に2メートル、自転車道に2メートルで、あわせて4メートル必要となります。
道路構造令では歩道の最低幅員は2メートル、自転車が混在すると3メートルとなっていますが、これでは足りません。遮断機が上がると同時に一斉に対岸めがけるのですから、踏切の中央で衝突になるのは必至です。各レーンを明確に分けてやる必要があるのです。
歩道の確保
接続する道路が狭くても踏切の幅は最低14メートル必要だと考えるのです。例えば両側の道路が6メートルしかない場合でも、両側に4mは確保しないといけないのです。上図のように側道があれば話は早いのですが、必ずしもそうとは限りません。
そこで新しい公共施設「踏切広場」を提案するのです。公共施設は税金を使って整備されるため意味不明なものは認められません。踏切前のたまり場を他の名称で表現しても無理があります。道路にしては短いし、駅前広場にしては駅前でもない、公園としてはくつろぎの場がない。そこで名前を付けてやるわけです。これで整備する大義名分も立ちます。
踏切広場
抜本対策では線路を高架化した上に立派な側道を整備しているのです。そう考えるとたったわずかな踏切広場を整備するのは大した投資ではないと思うのです。
(06.01.02)