海上空港、高速船、路面電車となかなかの交通天国なのです。
海上空港といえば関空というイメージがあるのですが、長崎空港が元祖のようです。ひとつの島を丸ごと造成して滑走路を造っているので、関空より地盤は確かでしょう。これは世界初の海上空港とのことです。羽田空港も海上空港だと思うのですが、陸の一部に見えてしまうので、海上空港の扱いを受けていないのでしょう。
長崎というところは、平らなところが少ないのです。長崎市近郊ではあらゆる斜面を利用して家を建てているのを見受けます。土地がないから土地を作り出す手段については、寛容なのでしょう。関東ならコストがあわないとあきらめるような山の斜面に巨大な擁壁を立てて、店舗用地を確保してしまいます。崖崩れなどの自然災害も技術力で乗り越えることなのでしょう。農地不足を解消するために、有明海を干拓するという発想もありました。空港をつくるための解決策として、島がひとつ犠牲になってもやむをえないのでしょう。
海上空港といえば海上アクセスに興味が行きます。長崎市内に行くためにはバスという手もあり、費用も割安なのですが、せっかく運行しているのですから、船で目的地をめざしましょう。
船着き場は空港の端にあって、歩くと結構な距離があります。そこで近年立派な連絡橋が完成し、動く歩道を利用することができるようになりました。連絡橋といっても、道路の上を通っているだけですが立派なのです。まるで大空港の長い通路を歩いている様な感覚です。ちなみに長崎の空港ターミナルビルには動く歩道は設置されていません。
立派な連絡橋
1時間あたり何十人かの船利用者のためにこんな立派な施設をつくるとは長崎は太っ腹だと思います。
立派な連絡橋で快適に船着き場に到着です。連絡橋に較べて船着き場は貧相に見えますが、民間企業が投資のバランスをきちんと考えると過剰に立派な施設はつくらないものです。船着き場にはお金はかかっていませんが船は高速船で、バスとも競争できる速さです。今から乗るのは長崎方面時津港行きですが、別にハウステンボス行きもあります。船ごとテーマパーク内に入っていくとのことで、乗船した瞬間から物語の主人公というわけです。
エアーポートライン
高速船に乗ること30分。時津港に到着します。これは、長崎市のとなり町です。直接長崎港に乗り入れていれば、メジャーなアクセスルートになり得るのですが、ここから市内まで車で30分となれば、空港からバスを選択するのが当然でしょう。そういう事情で高速船を利用するのは自家用車を利用する地元の人、近くの工業団地に派遣された技術者くらいです。そんな状況を反映して船着き場の前はタクシーが数台待機するものの閑散としています。
実は隣接してバスの車庫があり、付近のバス停では10分間隔くらいの頻度でバスが通っているのです。しかしほとんど利用されない港までわざわざ迂回してくれません。
閑散とした船着き場の前
しかたなくそのバス停まで5分程歩くわけです。バス停からは、4車線の立派な道路に沿ってバスは坂道を上っていきます。バスに揺られること15分程で峠を越え、長崎市に入ります。バスはこのまま長崎市の中心にむかいますが、ここで次ののりものに乗り換えです。
バスを下車
赤迫というところからちんちん電車に乗車です。市電という言い方もしっくりくるでしょう。ただし、市内電車であって、市営電車ではありません。長崎電気軌道という民鉄でどこまで乗っても100円という戦略的な運賃設定でしっかり利用者を増やし、経営なんとかやっているということ。
長崎の玄関口「赤迫」停留所
時津まで伸びてくれると空港アクセスがもっと充実するのにとおもうのですが、今来た道は勾配がきつすぎて電車が上れないという事です。勾配を緩和するためにトンネルを掘るなんて大盤ふるまいは、新幹線にしか出来ない芸当なのです。堅実な経営を続けるために、長崎電鉄は無理をしないのでしょう。
長崎電鉄の路線は築町停留所を中心に十文字になっており、主な観光地は網羅されています。築町停留所では乗り換え券(割引券では無く、次に乗る電車にただで乗れる券)が配られ、100円で、市内のどこへでも行けるというわけです。
築町でのりかえ
築町停留所から乗り換えて向かうのがグラバー園の最寄りとなる石橋停留所。ここでもりっぱなのりものを発見。立派な斜行エレベーターが無料で提供されているのです。江ノ島では、エスカレータが有料で供用されているのです。観光地とはそんなものだと思っていましたから、長崎は太っ腹だと再び感心しました。
立派な斜行エレベーター
ところが、エレベータを登ってわかったのですが、一般市民向けの施設なのです。山の上では、斜面に所狭しと家が張り付いているだけでなく、鉄筋コンクリート造りの立派な小学校があるのです。きっと小学生が登下校にも使っているのでしょう。この斜行エレベータは住民のためのライフラインだったわけで、それを観光客がちょっと利用させてもらっているという状態だったのです。
グラバー園は、有料なので通過して、ここから徒歩15分程のところにある展望台に向かいます。いろんな交通を利用してきましたが、最後は長崎の象徴的な風景である細い坂道で締めくくりましょう。もちろん車も入れません。どうやって家を建てたのだろうと疑問に思ってしまうのですが、長崎ではこんな風景が普通です。
細い坂道
山道を結構歩いて、ようやく展望台に着きました。ここまでで利用してきたのりものはそれぞれが個性的で、マスコミでも取り上げられたりしています。そんなのりもの達を連続して利用できるとなるとなかなか楽しいものです。
展望台からのながめ
(04.03.08)
広い国土を旅すると大きな変化を感じることができるのです。
中国を旅したのは今から20年も前のこと。まだ社会主義経済が色濃く残っておりましたが、外国人の旅行者が自由にあちこち移動できるようになった矢先でした。神戸から2泊3日の船旅で上海に行けるというので、大した予備知識もなく『地球の歩き方』を片手にカーフェリー鑑真号に乗り込んだのでした。
乗船してからあらためて認識したのですが、中国の夏の観光シーズンは宿も列車も予約が大変とりにくいというのです。もともと明確な予定を立ててきたわけでないので、確保できた切符次第でどこへでも行こうと腹をくくりました。まるですごろくで駒を進めるような旅の始まりです。
旅のルート
旅は次の通り1ヶ月、いろいろな種類の乗り物に乗り継ぎながら中国を1周することとなりました。
長江下り
チベットのラサは辺境の地というイメージとは裏腹に、すっかり中国流のまちの様でした。
思ったほど険しい道のりでなかったという印象があります。
鉄道、バスを乗り継いで、いつの間にかチベット自治区のラサという都市に着きました。標高は富士山なみの高山で、途中標高5000メートル級の峠越えで高山病寸前です。世界地図で見ると、この地域全体がこげ茶色に着色されているのですから標高が高いことは間違いありません。
しかし、その想像とは違い、思ったほど険しくはなく、拍子抜けした感があります。それまでの予備知識では、断崖絶壁の下は何百メートルの谷底、その上をすれ違いもままならない狭い未舗装の険しい山道をバスはひた走るのだと思っていたのです。日本で体験する秘境の峠といえば、そんなイメージですから、それをさらにワイルドにしたものだと思っていたのです。標高差はありますが、あの広い国土を走るわけですから、ゆるやかになるというわけです。
広々としたチベットの風景
ラサの街並みがずいぶん中国流に整備されているというのも意外でした。
首都ラサは、ラマ教の総本山です。ポタラ宮殿がまちのシンボルとして有名です。まちの中では「五体投地」といわれるスタイルで巡礼する姿も見かけます。
風景も本来違って見えるはずですが、第一印象は旧市街を囲むように戦車でも走れるような立派な幹線道路が整備され、一見中国の他の都市とそれほど変わらないのです。
私がこの地を去って1ヶ月後、チベット暴動が起きました。道路に戦車が本当に走るとは想像していませんでした。表面的に平和に見えたまちは、チベット文化にどんどん入ってくる中国の文化に対して、複雑な思いをもっていた様です。私も、短ズボンでうろうろして怒られていた「観光客」で目障りだったのかもしれません。度重なる弾圧に我慢の限界に来ていたということなのでしょう。
私がバスでたどったルートを2006年からは鉄道が通るようになりました。これで中国の平野部とチベットの結びつきはさらに強まりました。中国政府としては豊かな経済・文化をチベットの地にも広めたいという意図があるのでしょう。しかしチベット側から見ると、無節操に中国の経済や文化が流入して欲しくない思いがあるようです。緩やかな境界でなく、しっかりとした境界が願いであるというわけです。
中国内陸部から沿岸部に向かうにつれ、改革・開放の動きが活発になるのが感じられました。これはゆっくりとした変化です。
ラサという辺境の地からの帰途。乗り物を乗り継ぐたびに少しずつ「あか抜けていく」変化を感じるのは興味深い体験でした。
山あり谷ありの景色の変化も魅力ですが、肌で感じる文化などの変化も、大変興味深いものでした。どこに行っても10億人がひしめく、雑多さは変わりませんが、南に向かうほどに徐々に人々の格好があか抜けてきたような気がします。チベットはもちろん、四川など中国の内陸部においては人民服が主流で、Tシャツの私は大変目立ちましたが、広州まで来ると、どう見ても私の格好の方がみすぼらしく、現地の人たちにとけ込んでいたようで、道行く人にも道順を尋ねられるほどでした。内陸部と沿岸部の格差については当初より顕在化していましたが、現在もおそらく続いている傾向でしょう。
中国国内での変化は、何千キロメートルの行程で少しずつ感じられる、緩やかな変化だったのに対し、香港では徒歩で変化が感じられる貴重な体験でした。
最終目的地は香港です。そのころの香港はイギリス領で、私にとっての中国最後の目的地はでした。は、香港との国境の町で、「経済特区」といって少しづつ資本主義経済を取り入れる実験都市なのです。手前の大都市「広州」から香港行きの直行列車もあるのですが、国境の町を一目見たいと思い一泊しました。
寝る前に、明日の香港入境を楽しみにしながらも、交通と宿の不安は拭えません。中国に入って常に悩まされてきたこの2つの大切な要素。列車に乗れるのか、宿は取れるのかといったことを、常に心配しながら「駒」を進めてきたわけです。中国を出国して、香港に入境すれば、切符を買うのにどんな長蛇の列が展開されるのだろうと心配でたまりません。
当日いよいよ香港入境です。国境を徒歩で越えるというのは貴重な体験です。まして、東西体制が衝突しているところといえば、その意義は大きいというものです。国境は川で区切られています。川を挟んでそれぞれの建物があり、その間に橋が架かっています。その橋はどちらの国にも属さない場所で、変な感覚です。飛行機に乗って空を飛んでいる状態と同じです。
香港側のイミグレーションを通過して、いよいよ香港中心部行きの鉄道に乗車です。ここでとてもカルチャーショックを受けたのです。なんと長蛇の列などひとつもなく、切符は自動販売機で購入するのでした。そして、中国側とは比較にならないくらい洗練されたデザインの郊外型電車がホームに待っています。これなどは日本では当たり前なことですが、中国での苦労を思い返すと、ありがたさが痛感できます。
香港の国境行き電車
資本主義国家のまちは勝手知った我が家の様です。ファーストフードのハンバーガーも大変おいしく感じました。
(07.01.29)
浦和駅高架化工事のうち、京浜東北線が完了となりました。
2008年5月18日の日曜日。浦和駅構内の京浜東北線の工事に伴い、北浦和・南浦和間が運休となりました。工事が日曜日の昼間に行われるということで、運休区間では、代行バスが運行されました。
運休区間は、大宮と赤羽に挟まれており、この区間は京浜東北線の他にも東北線、貨物線(湘南新宿ライン)、埼京線が併走しており、通過客にはほとんど影響がありません。利用した昼間の時間は、特に大きな混乱もなくスムーズに旅客は流れていました。
川口で所用があり、大宮方面に向かうのに代行バスを利用しましたので記録に残しておきます。
赤羽駅では南浦和行きばかりとなっています。ふだんなら、1時間の内に大宮行き6本、南浦和行き6本運行されていますが、運休中はすべて南浦和行きとなっています。
南浦和行きばかり
いつも通り5分間隔
南浦和駅を降りる時、代行バスを利用する人はスイカをタッチせず、乗車票を受け取ります。定期券利用者はそのままタッチして出札です。
バス乗り場では、改札があります。切符、定期券、乗車票を見せます。
バス乗り場で誘導
昼頃の利用でしたが、10名ほどの立ち客程度の混雑でした。15分くらい走って浦和駅に着きました。引き続きの利用者は、そのまま乗車ということで車内でしばらく待ちます。浦和駅からの乗車客が乗ってきましたが、いくつか空席はありました。
途中浦和駅に立ち寄り
15分くらい走って、北浦和駅に着きました。乗っていたバスを見ますと、南浦和22と書いてあります。きっと時刻表に基づいて計画的に運行されているのでしょう。
折り返し南浦和行きとなる
北浦和駅からは15分間隔の運行です。
南浦和から南側(東京、横浜方面)は単に、いつもの大宮発着が南浦和止まりとなっただけで、ダイヤは変わっていませんが、こちらは相当変則的な運行です。
ここからは15分間隔
とりあえず、行き先表示が「準備中」ということです。
表示は準備中
出発は進行方向に向かって右側のホームから出発です。途中の与野駅で進行方向に向かって写真をとりました。右側通行しているというわけです。
進行方向に向かって
この区間、2編成の列車をつかってピストン輸送するのですが、上り下りそれぞれの線路を別々につかっているのです。同じホームでも、ある時は北浦和方面から来て、ある時は大宮方面からくるということです。さいたま新都心駅では向かい側の電車とすれ違いました。
向かい側の電車
大宮駅到着です。ここの表示も「準備中」でした。
大宮駅到着
別々にピストン輸送していますので、ポイントは使われていません。錆が浮いている状態でした。
線路のポイントは錆が浮いている
(09.12.28追加)
■強力な輸送力を保証する渡り線
2009年12月20日に、宇都宮線・高崎線の上り線を高架にするため、また大掛かりな運休が実施されました。今回も京浜東北線は北浦和−南浦和間を代行バスを運行されました。
工事のメインとなる宇都宮線・高崎線は、線路は使えなくなり、列車は湘南新宿ライン(貨物線)に迂回することになったわけです。
ちらしの案内図によれば、大宮を出た湘南新宿ライン(貨物線)を走る列車は、赤羽駅までのどこかで宇都宮線・高崎線に戻っているようです。
実際に運行状況を見たところ、ちらしに書かれている通り、西川口駅と東川口駅の間で、片渡り線があったのです。その上空に陸橋があり、そこから撮影ができました。川口駅から望める箇所です。
私の想像では、保守のために使うような、簡易な単線の片渡り線があるのだと思っていたのです。ところがすれ違いも出来る、立派な複線なので驚きです。
図の通り、陸橋をはさんで、2箇所にわかれています。2回にわけて、となりのとなりの線路に渡っていくわけです。まず、赤羽方面(南方向)はこんな感じです。
上野行(宇都宮線・高崎線)は、左に向かいます。
上野発は、右の湘南新宿ラインに向かいます。
湘南新宿ラインはいつもの通りまっすぐ進みます。
大宮方面(北方向)はこんな感じです。
上野行は、右に向かいます(ただいま逆方向に向かっているので、赤羽方面の説明と左右逆です)。
上野発は、左の湘南新宿ラインに向かいます。
湘南新宿ラインはいつもの通りまっすぐ進みます(こちらにむかってます)。
赤羽に向かう湘南新宿ラインと大宮に向かう宇都宮線・高崎線が交差することがあるため、若干の運休はありますが、輸送力はほとんど変わっていません。すごいものです。
(12.09.10追加)
■赤羽駅折り返しの場合
浦和駅とは関係ありませんが、赤羽駅折り返しの設定がありました。上野・尾久間で橋梁の工事があるということで、夜間から朝方にかけて上野・赤羽間を運休としたのでした。
大宮方向から赤羽駅に到着した宇都宮線・高崎線の電車は、車内清掃(グリーン車席の方向転換)のためしばらく停車するのです。清掃が終わると上野方面に出発してしまいます。
到着したのは尾久駅。ホームは使わずに、ホーム横の引き込み線2線を使用しています。
カシオペアや北斗星は、折り返さず、別線で上野にむけて出発します。
工事箇所が尾久駅より上野寄りということで、尾久駅折り返しも可能だったのでしょうが、ちょっと考えれば賢明な判断だったでしょう。乗り継ぎのできない尾久駅で降ろされた客に、文句を言われてしまうこと間違いなしです。尾久駅利用のみなさんには少々我慢してもらう必要があったわけですが、代替えバスがガラガラであるのを見るとそれほど多くの人に迷惑をかけていないということのようです。
(08.05.19)
富山では公共交通のイメージアップ中なのです
いつものことですが、大した下調べもせずに出発するものですから、発見が感動となって、つい紹介したくなってしまうのです。ですから特別なことは特にありません。
今回の流れ
今回はまず夜行バスで高岡に向かいます。夜行バスで降り立った早朝の高岡駅。高岡駅に新幹線は来ないようですが、北陸の他の駅と同様に駅の改修中です。
高岡駅
まだ夜が明けない万葉線高岡駅前電停。
万葉線
ほぼ15分間隔の運行です。
時刻表
ネコ電車も走っています。アイトラムがたくさんあるので、いまでは貴重な存在かもしれません。
ネコ電車
外観どおりの古びた内装です。
車内の様子
この電停は道路にペイントしただけ。路面ペイント肯定派の私も、この構造にはちょっと不安があります。電車が到着してからでないと「のりば」に立てません。
電停
終点越ノ潟に到着。右奥は県営フェリーの乗り場です。
万葉線の線路はかつては富山まで続いていたのですが、港を造るために分断されてしまいました。
フェリー乗り場
次の電車もフェリーに接続するので、ちょっと待ちます。
アイトラム
越ノ潟発着場に進みます。
越ノ潟発着場
こんなこじんまりとした船です。
フェリー
ただいま新湊大橋が建設中です。これが出来るとフェリーの役目は終わりになるのでしょう。
新湊大橋
道路の名前は「臨港道路富山新港東西線」とのことです。
全体計画
堀岡発着場はかつて射水線の駅だったようです。
堀岡発着場
堀岡からはバスで富山に向かいます。
バス
万葉線のフリークエンシーサービスに比べ、こちら側のバスの本数はわずかです。
バス時刻表
下調べをせずに乗車したものですから、どこを走るのか、どんな歴史があるのかさっぱり知らずに出発した次第です。よって富山までほとんど写真撮影をしていません。
冒頭の地図でも示したとおり、富山ライトレールのポートラムからフィーダーバスが出ているのですが、四方止まりで、堀岡発着場までは来てくれません。そもそもフィーダーバス路線は、もともとあった四方と富山駅を結ぶバス路線のうちポートラムと並行する区間を廃止したもので、大幅な再編があったわけでは無いのです。そもそも堀岡付近は射水市にあり、富山市の交通体系とは別物です。そのため、万葉線と富山ライトレールの乗り継ぎは全く考慮されていません。
ただし休日のみ堀岡・岩瀬浜間に1日3往復のバス便が設定されています。おそらく乗り継ぎの愛好家のためでしょう。
突然バスが停止したと思うと運転手さんが遮断機を開けたのです。射水線の跡地を利用してバス専用道を設け、朝のラッシュ時に限り運行しているのです。
付近のバス路線は渋滞の激しいJRの踏み切りがあるため、バス専用道として残したようです。専用道は踏み切りを渡る区間の乗車時間5分程度の限定的なもので、旧射水線のほんの一部です。しかも、並行道路は立体交差化が完了したので、今年(2012年)3月限りで廃止となるようです。その後はどうなるのかわかりませんが、他の区間と同様サイクリング道路になるのかもしれません。
射水線のルートを忠実にたどるバスは、まっすぐ北口には行かず、大回りして富山の南口に到着。圧倒的に南口が表玄関なので、これが便利なのかもしれません。富山ライトレール・ポートラムは北口より発車ですから、南北連絡の自由通路を歩くのですが、商店も何も無い長いものでした。ポートラムは富山駅の立体化が完了するとポートラムは高架下を通って南口に行くようで、是非実現させるべきだと痛感しました。
富山駅
この案内が無いと不安になるくらい長い通路でした。
案内
ポートラムです。南口への延伸の準備で、くるりと西方向に向かっています。
ポートラム
車内はこんな感じです。1.5人分幅のシートは、なかなかのアイデアです。
ポートラムの車内
終点岩瀬浜駅
岩瀬浜駅
フィーダーバスがやってきました。このフィーダーバス路線も、かつて富山駅まで運行していた路線のうち、ポートラムと並行する区間を廃止したものです。
フィーダーバス
車内はこんな感じです。
フィーダーバスの車内
終点水橋漁港前はこんな街並みです。
水橋漁港前
漁港はこんな感じです。
漁港
フィーダーバスを往復するのもつまらないので、徒歩でJR水橋駅まで歩きました。迷ってしまったので時間がかかりましたが、20分から30分くらいの距離だと思います。ここまでフィーダバスを運行すれば、沿線の利用者はどちらにも行けて便利だと思うのですが。
JR水橋駅
(12.03.19)